人類の歴史は、地球規模の支配を築いた壮大な成功の物語のようにも見える。しかし、その成功の裏で、ホモ・サピエンスはずっと「借りものの時間」を生きてきた。何千年も続いた栄光は、今や終わりが近づいている。なぜそうなったのか? 発売たちまち重版となった『ホモ・サピエンス30万年、栄光と破滅の物語 人類帝国衰亡史』は、人類の繁栄の歴史を振り返りながら、絶滅の可能性、その理由と運命を避けるための希望についても語っている。竹内薫氏(サイエンス作家)「深刻なテーマを扱っているにもかかわらず、著者の筆致がユーモアとウィットに富んでおり、痛快な読後感になっている。魔法のような一冊だ」など、日本と世界の第一人者から推薦されている。本書の内容の一部を特別に公開する。

「本当に人類の脅威となるのは“未知の病気”――別の動物がもたらす感染症である…」。15世紀、「バラ戦争」の終結と同時にイングランドで大流行、“感染すると数時間以内に死亡する”恐怖の「感染症」とは?画像はイメージです Photo: Adobe Stock

病原体と人類

 遺伝的な多様性は、病気が広がるのを防ぐための非常に大切な備えとなる。今から二十億年以上前、生物は遺伝情報の組み合わせを絶えず変化させる方法を進化させた。これは病原体の進化に先んじるための工夫であり、「性」と呼ばれる仕組みである。

 一般に、自分自身のコピーをつくることで増える生物は、性的に繁殖する生物よりも病気に対して脆弱になりがちだ。遺伝的多様性に支えられている仕組みのひとつが免疫系である。

 ほとんどの生物には、生まれつき備わっている一定の病気への防御力、「自然免疫」と呼ばれる仕組みがある。一部の動物(人間を含む)では、生まれつき備わっている免疫(自然免疫)に加えて、経験から学習できる獲得免疫という仕組みがある。

ウイルスに対抗する方法

 病気にかかって生き延びた場合、体はその病原体の記憶を残し、次に同じ病気に直面したときにはより素早く、効果的に対処できるようになる。この記憶力を活用したのがワクチンである。

 ワクチンでは、死んだり弱毒化されたりした病原体を体に投与しておき、いざというときに備えて免疫を訓練する。

 現在のところ、ウイルス性疾患に対抗する確実な方法はワクチンしかない。ワクチンのおかげで、かつて恐れられていた天然痘やポリオ(小児まひ)は絶滅、あるいはきわめて稀な病気となった。

本当の脅威

 本当に人類にとって脅威となるのは、人々にとって未知の病気――たいていは別の動物から人間にうつった感染症である。

 こうした新たに現れた病気は、しばしば非常に強い毒性(病原性)を持つ。つまり、発症すると重篤になりやすく、命を脅かすこともある。

 ただし、毒性が強すぎる病気は、そのぶん急速に人々のあいだに広がって多数の命を奪ったとしても、やがて自ら消えていくことが多い。というのも、感染できる人間をすべて殺してしまえば、その病気自体も広がる相手を失い、自然と絶滅してしまうからだ。

イングランド発汗熱の恐怖

 歴史には、現代では存在しない、非常に致死性の高い病気の記録が数多く残されている。そのひとつが「イングランド発汗熱(粟粒“ぞくりゆう”熱)」と呼ばれる病である。

 この病気は一四八五年、バラ戦争の終結とヘンリー七世の戴冠と同時に突如としてイングランドに現れ、感染すると数時間以内に命を落とすことさえあった。

 最後に記録された流行は一五五一年で、それ以降、この病は忽然と姿を消した。その正体はいまだにわかっていない。

 たいていの場合、病気とその宿主である人間のあいだには、ある種の「折り合い」がつくようになる。病原体は徐々に毒性を弱め、人は感染しても重症化せず回復するようになっていく。

 ただし、その前に他の人へ感染させることは多い。そしてこの段階になると、その病気は「人間に定着した病」として根づくことになる。

(本原稿は、ヘンリー・ジー著ホモ・サピエンス30万年、栄光と破滅の物語 人類帝国衰亡史〈竹内薫訳〉を編集、抜粋したものです)