
「もう無理、もうできん、死んだー」
「ごめんわからないんだ」
状況が飲みこめず、手も足も出ない。
金策に追われる傅はとてもしんどそう。
物事は急に変わることもあるものとはいえ、あまりの急展開にびっくり。特に平井。いったいどういう人なのか。もともと性格悪くて、猫をかぶっていたのか、ほんとうにのっぴきならない事態で人の心を失うしかなくなっているのか。いったい。
第11回に続いて、息子はつらいよで、銀二郎(寛一郎)は勘右衛門(小日向文世)に鍛えられている。木刀で素振りの訓練。「ペリーにやられる」と厳しい勘右衛門。
明治維新の要因・憎きペリーはとっくに亡くなっているが、黒船さえ来なかったら、武士として堂々と生きていたと思うと、やりきれないのだろう。いまに例えると、何のせいなのだろう。○○のせい。
どうやら銀二郎の家は松野家ほど格が高くなく、「すべてにおいて格の高い武士としてのふるまいをせえ」としごかれる。
格が低いと上目線で言われたときの銀二郎の表情を勘右衛門は見逃さない。「ぐっとなにかを飲み込んだだろう」と指摘するが、「飲み込んではおりません」「飲み込んだ」と「飲み」「飲み」の押し問答。
ふじきみつ彦の脚本は、とにかく同じ言葉をニュアンスを変えて繰り返すパターンが多い。筆者は嫌いではない。たぶん俳優もセリフを覚えやすいのではないだろうか。キャッチボール感覚で、同じ単語を投げ合って、その強弱や速度や角度で楽しむ感じが、限られたシチュエーションでは効果を成すとは思う。
ただ、朝ドラは長い。これが視聴者にとっても心地よく定着すればいいが、しつこいと思われたら危ない。適度なところでパターン替えするかもしれないし、ここでは判断はしないでおこう。
そう思ったら、その後の湖のトキと銀二郎のシーンが良かった。
お互い、重労働のあと、湖で落ち合ったようだ。
「もう無理、もうできん、もう死んだー」と弱音を吐くおトキは「今日も怪談よろしいでしょうか」、と頼むが、並んで座ることを勘右衛門から禁じられたため、遠くに離れるふたり。
「格が下がりますけん」
これってどっちの格なのか。銀二郎の武士としての格? トキのほうが格の高い家だから並ぶと格が下がる? どっち?
離れて、離れて、間にふたり分くらい入りそうなほど空間が空いた。こんなことでは、あの狭い家ではふたりはどうしたらいいのだろう。
セリフ回しが現代的だと言われる『ばけばけ』ではあるが、こういう当時の風習のおかしさをおもしろおかしく描いていて、楽しめる。
「もう無理、もうできん、死んだー」と言っていたトキだが、主題歌のように「日に日に」工場の締め付けが厳しくなる。「気のせいかーー」♪







