AKB48などに楽曲を提供するミュージシャンであると同時に、フリック入力の生みの親であり、発明家としての顔も持つ小川コータさん。フリック入力の特許売却で、すでに“人生100回分”のおカネを手にしたというが、その後もさまざまな発明品を世に送り出している。今回は、そんな小川コータさんの異色の経歴や、“発明のタネ”の見つけ方についてインタビュー!(渡辺賢一、ダイヤモンド・ザイ編集部)
ミュージシャン志望で、理系の家系だが進路は文系に!
超貧乏生活から脱却するため、発明で特許取得を目指す
――発明家なので、てっきり理系だと思っていました。出身大学は文系なんですね。
小川コータ 慶應義塾高校から慶應義塾大学に進み、法学部政治学科を卒業しました。父は富士通のエンジニア、母は理系の大学教員と、家庭環境はどちらかといえばサイエンス寄りだったんですが、高校生のころからミュージシャンになりたかったので、文系を選びました。でも、母方の高祖父がNECの創業者なので、理系の血は結構濃いはずなんですけどね(笑)。
――立派なご先祖さまの家庭なので、エリート教育を受けたのでは?

小川コータ それが全然。公立の小中学校を卒業していますし、それほどお金持ちでもなかったので、ごく普通の少年時代を送っていました。
――それでも大学卒業後、夢をかなえてミュージシャンになり、AKB48など、数多くのアイドルグループに楽曲を提供されています。これだけでも大成功だと思いますが、発明家になろうと思ったのは何がきっかけだったんですか?
小川コータ 幸い2010年頃から作曲家として食べられるようになったんですけど、その前は家賃3万円のアパートで超貧乏生活を送っていたんです。何か一攫千金を狙えるものはないか考え、スケートボードを改良して特許を取ろうと思いました。それが最初の発明です。
――特許は取れたんですか?
小川コータ ダメでした(笑)。アイデアは悪くないと思ったのですが、自分で書類を書いて特許出願したところ、全然受け入れてもらえなくて。そのとき、弁理士という特許出願のプロがいることを知り、僕もなってやろうと思ったんです。
2年間猛勉強して資格を取得し、弁理士事務所に就職。その事務所の所長から「文系卒の弁理士はクライアントにナメられる」と言われ、東京工業大学の大学院に入って修士号を取得しました。
――すごい! ミュージシャンを目指しつつ弁理士になって、大学院でも勉強もしたわけですね。フリック入力を発明したのはいつごろなんですか?
小川コータ ちょうど大学院に入った2007年です。当時はまだiPhoneがアメリカでも発売される前で、二つ折りのガラケーが主流だったのですが、コータの「こ」を入力するために「か」を5回も打つ「5タッチ」入力に、日ごろからイラッとしていました。僕って、相当な面倒くさがりなんです。
そんなある日、「あ」を押すと、「いうえお」が十字に並ぶフリック入力の絵がパッと頭に浮かびました。これなら面倒な入力が格段に速くなる。すごいアイデアだぞと思って特許出願することにしたんです。
――ちょうど、ガラケーからスマートフォンに移行し、キーボードがボタン式からフリック入力に適した画面タッチに変わろうとする時代。タイミング的にもばっちりでしたね。
小川コータ とてもラッキーだったと思います。とはいえ、厳しい審査によって何度も出願を拒絶され、ようやく最初の特許が取れるまでに4年近くかかりました。その後、特許を売るための会社を設立しています。
――なぜ、会社設立を?
小川コータ 特許だけを売ると、利益の半分が税金で持っていかれるからです。会社ごと売却すれば、課税は20%で済みます。株と同じですね。結局、2015年にマイクロソフトが会社ごと買い取ってくれました。おかげで、人生100回分ぐらいのおカネを手にしています。
――おおーっ、すごいですね!