できる管理職とダメな管理職は何が違う?
稲盛氏は次のように語る。
《物を達成せんとする場合は、漠然と探している状態では何も出来ない。
問題に直面し悩み苦しみ抜いていると潜在意識の中にまで浸透し、ある瞬間に他のことを考えていても潜在意識にはその問題があるという状態、すなわち壮烈なまでにそのテーマに取り組んでいる状態が新しいクリエイティブな発想を生むのではなかろうかと考えると、いかに難しいものであっても他の人が既につくっておれば、それを自分が手懸けた場合必ず出来るものだと思って取り組むでしょう。さすれば比較的容易に達成するものである。
この必ず出来るものだと言じることが最も大切なことでこれが成否の分かれ目である》
ここで語られているのは、単なる楽観主義や根性論ではない。それは、血を吐くほどに考え抜き、悩み抜いた者だけが到達できる、研ぎ澄まされた信念の世界である。
四六時中、その問題だけを考え続ける。食事をしていても、眠りにつく瞬間でさえも、そのテーマが頭から離れない。すさまじいまでの没入が、やがて意識の壁を突き破り、潜在意識の領域にまで達する。
その果てに生まれるのが、「必ず出来る」という揺るぎない確信だ。何の根拠もない希望的観測ではない。考え得るすべての問題を洗い出し、すべての解決策をシミュレーションし尽くした末に、最後に残る一点のくもりもない確信である。
できるリーダーとは、このプロセスを独りで、あるいは仲間とともに完遂できる人間のことである。
彼らは、世のため人のためという美しい動機(人格)を持ち、同時に、いかなる困難も突破する燃えるような闘魂(信念)をあわせ持つ。
一方で、ダメな管理職は、常にできない理由を探している。前例がないから、予算がないから、リスクが高すぎるからと、もっともらしい言い訳を並べ立てる。
ダメな管理職にとって重要なのは、挑戦して失敗するリスクを冒すことではなく、何もしないことで自らの地位を安泰に保つことだけだ。その心には、美しい動機も、燃える闘魂も存在しない。あるのは、利己的な動機と、言い訳を探すいやしい心だけである。
結局のところ、リーダーシップとは、役職や権限のことではない。
リーダーシップとは、一つの集団の未来を一身に背負い、誰よりも深く悩み、誰よりも強く成功を信じ抜き、その熱量を組織全体に伝播させていく――生き様そのものである。