【歴史は繰り返す】善意が招いた“最悪の決断”…チャーチルの警告が突き刺さる
悩んだら歴史に相談せよ!】好評を博した『リーダーは日本史に学べ』(ダイヤモンド社)の著者で、歴史に精通した経営コンサルタントが、今度は舞台を世界へと広げた。新刊リーダーは世界史に学べ(ダイヤモンド社)では、チャーチル、ナポレオン、ガンディー、孔明、ダ・ヴィンチなど、世界史に名を刻む35人の言葉を手がかりに、現代のビジネスリーダーが身につけるべき「決断力」「洞察力」「育成力」「人間力」「健康力」と5つの力を磨く方法を解説。監修は、世界史研究の第一人者である東京大学・羽田 正名誉教授。最新の「グローバル・ヒストリー」の視点を踏まえ、従来の枠にとらわれないリーダー像を提示する。どのエピソードも数分で読める構成ながら、「正論が通じない相手への対応法」「部下の才能を見抜き、育てる術」「孤立したときに持つべき覚悟」など、現場で直面する課題に直結する解決策が満載。まるで歴史上の偉人たちが直接語りかけてくるかのような実用性と説得力にあふれた“リーダーのための知恵の宝庫だ。

「すべては終わった…」チャーチルが吐き捨てた“安易な妥協”が招いた恐ろしすぎる結末Photo: Adobe Stock

イギリスに迫る危機
そしてチャーチルの登場

ウィンストン・チャーチル(1874~1965年)は、イギリスの政治家であり作家名門貴族の家系に生まれ、軍人として植民地戦争に参加して名声を得る。その後、下院議員となり、若くして大臣の要職に就く。しかし、第一次世界大戦で海戦での敗北の責任をとり辞職を余儀なくされた。ドイツのナチスやアドルフ・ヒトラーに対しては早くから警戒心を示し、第二次世界大戦が勃発した翌年の1940年に首相に就任ドイツと対立し、フランスをはじめとする同盟国が敗北するなか、孤立したイギリスを強烈なリーダーシップで率い、ドイツの侵攻を退けた。その後、アメリカの参戦を得て、ドイツに勝利する。ドイツ降伏直後の総選挙では敗北し、一時政権を失うものの1951年に76歳で首相に返り咲いた。また、作家としても著名であり、戦後、『第二次世界大戦』によりノーベル文学賞を受賞している

平和への代償

1938年、ナチス・ドイツの次なる標的は、チェコスロバキアのズデーテン地方でした。

この危機を前に、イギリス、フランス、ドイツ、イタリアの4か国は外交による解決を図るため「ミュンヘン会談」を開催。当時のイギリス首相ネヴィル・チェンバレンは、何よりも戦争回避を優先し、ドイツによるズデーテン地方の併合を容認する決断を下します。

孤高の警告者

この譲歩に対して、ウィンストン・チャーチルは激しく反発しました。彼は一貫してヒトラーの野望を見抜いており、この「宥和(ゆうわ)政策」がさらなる侵略を招くと警告していたのです。

同年10月、チャーチルは下院で次のように述べています。

「すべては終わった。チェコスロバキアは無言で悲しみに沈み、見捨てられて分割されて、暗黒の中へと消えていく。今後、チェコスロバキアという国家は独立した存在として維持できないだろう。数年、いやわずか数か月のうちに、チェコスロバキアはナチス体制にのみ込まれるだろう

裏切られた合意、そして大戦へ

この懸念は、まもなく現実のものとなります。1939年、ヒトラーはミュンヘン合意をほごにし、チェコスロバキア全土を併合。さらに同年8月には、ドイツとソ連が電撃的に独ソ不可侵条約を結び、両国は共同でポーランドへ侵攻。

ついに、イギリスとフランスはドイツに宣戦布告し、第二次世界大戦が始まったのです。

不屈の指導者、再び国政の舞台へ

戦争の勃発にともない、チャーチルは保守党政権下で海軍大臣(第一次世界大戦と同じ役職)として政権に復帰。着任早々、

軍艦へのレーダー装備の拡充
商船の武装化
空軍戦力の増強

――といった実務的な軍備強化を迅速に進め、対ドイツ戦への備えを着々と整えていきました。