新刊『EXPERT 一流はいかにして一流になったのか?』(ロジャー・ニーボン著/御立英史訳、ダイヤモンド社)は、あらゆる分野で「一流」へと至るプロセスを体系的に描き出した一冊です。どんな分野であれ、とある9つのプロセスをたどることで、誰だって一流になれる――医者やパイロット、外科医など30名を超える一流への取材・調査を重ねて、その普遍的な過程を明らかにしています。今回は、著者が南アフリカでの外科医時代に経験した手術の教訓を、『EXPERT』本文より抜粋・一部変更してお届けします。(構成/ダイヤモンド社・森遥香)

エキスパート 手術Photo: Adobe Stock

達人を達人たらしめるスキル

1980年代、南アフリカ、ソウェトのバラグワナス病院。再び手術室での緊急事態だ。今回の患者はテムバ。若い男性で、顎の角の近く、首の側面に小さな刺し傷がある。すでに全身麻酔下で手術台に横たわっており、私はこれから手術を始めるところだ。

土曜日の救急外来は大忙しで、複数の手術室が同時に稼働している。ほかの外科医たちも、それぞれ自分の患者の手術にあたっている。私はこの病院で働き始めてからすでに二年以上経っており、こうした手術を一人でこなせるものとみなされていた。だが、ジョナスの手術のときに思い知ったように〔183ページ参照〕、首の手術は油断できない。

テムバの皮膚を消毒し、ドレープをかけ、耳の後ろから胸骨へと走る胸鎖乳突筋に沿って切開を入れる。興奮と恐怖が入り混じる。最善の状態でも、刺された首の手術は難しい。傷の大きさと損傷の程度が釣り合っていないことが多く、何が飛び出してくるかわからないからだ。頭の中で、これから姿を見せるであろう構造物をひと通り思い浮かべる。筋膜下の筋肉、神経、血管。

だが手術を始めた瞬間、厄介な状況に直面する。教科書や解剖室で学んだ構造が見当たらないのだ。整然とした筋肉の束もなければ、動脈も神経もない。首にあるはずの、あれほど時間をかけて暗記した“厄介者たち”が、まるで消えてしまったかのようだ。そこにあるのは、ぐちゃぐちゃになった組織だけで、あらゆる箇所から血がにじみ出ている。彼を刺したナイフは主要な動脈を傷つけたらしく、血液が組織内に噴き出し、頼りにしたい目印を完全に覆い隠してしまっている。

この状況を乗り切れなかったらどうする? 傷口を見つけられなかったら? ほかの重要な構造物が切断されていたら? もし手術中に何か重要な部位を傷つけてしまったら? テムバが手術台の上で失血死したら? こんな状況は経験したことがなく、即興で対応するしかない。だが、どうやって?

この段階のあなたは、達人までの道程において次の節目に立っている。すでに十分な経験を積み、五感は申し分なく働き、必要な準備(ミザン・プラス)も整えた。「自分ではなく他者」という態度も身につけたし、自分のスタイルも確立した。いまやあなたは達意のプロフェッショナル、誇り高き「職人」だ。

『EXPERT 一流はいかにして一流になったのか?』第9章では、その次の段階、急変する状況に対応するための「即興」というスキルを学ぶ。即興というと、困った状況から抜け出す臨機応変の対応という意味があるが、それだけではない。即興は達人が発揮するスキルであり、達人を達人たらしめるスキルだ。どんな分野でも、達人は即興の対応ができなければならない。

(本記事は、ロジャー・ニーボン著『EXPERT 一流はいかにして一流になったのか?』の抜粋記事です。)