ところが、ヒグマは一転、山の方へ向かって立ち去って行った。怖気づいた男衆たちは、一目散に村へと戻った。
すでに午後3時を回り、辺りは薄暗くなり始めていた。とはいえ、この事態を放置するわけにはいかない。そこで再び男衆は現場へと向かった。先ほどヒグマを発見したトドマツの辺りをよく見ると、血痕で赤く染まっていた。小枝の間にBの遺体が横たわっていた。
頭髪をはがされた頭蓋骨と膝下の足だけという、あまりにも無惨な姿だった。それ以外はすべて食い尽くされていた。
頭部と四肢下部を食い残すのはヒグマの習性とされている。ウシやウマ、シカを食べる場合も同様の食い方をするという。また、残された遺体にはササなどが被されていた。このような行為も、ヒグマの習性といわれている。
その後、一行は遺体を収容し、A家へと搬送した。
遺体が飛び散る通夜の場に
再びヒグマが現れる
その晩、悲しみに包まれたA家にて通夜が行われた。
同時に、この惨劇を知った村民一同は、ヒグマに怯えていた。そこで女衆や子どもたちは、比較的家が広く、地理的にも安全と思われた近隣のD宅に避難していた。
そのため通夜に集まったのは、A家で養子として暮らしていたCの父であるa夫妻のほか、村の男衆、合計9人というわずかな人々であった。これには、もう1つの理由があった。
「クマは獲物があるうちは付近から離れない」
開拓民は小さい頃からそう聞かされていたからである。できればA家には近づきたくない、そう思い恐れる者がほとんどだった。
この教訓は間違っていなかった。通夜のさ中、驚愕の事態が参列者に襲いかかる。
午後8時頃、逃走していたヒグマが、再びA家へ侵入して来たのである。BとC、2人の遺体を安置していた部屋の壁を破っての乱入だった。
灯していたランプが消え、2人の遺体を納めた棺桶がひっくり返された。バラバラになった遺体が床に転がり散った。
暴れまくるヒグマに、男衆が近くにあった石油缶をガンガン打ち鳴らした。さらには空砲を撃つなどして反撃に出た。すると、間もなくしてヒグマは家の外へと逃げて行った。
幸い、この場で被害者は1人も出なかった。だが、この時もヒグマを仕留めることはできなかった。