若かった私は、一日もはやく戦力となるべく懸命に働いていたのですが、あるとき、どうしても納得できない問題にぶつかりました。
ある人の不適切な言動に違和感と不信感をもち、そのまま放置すべきではないと感じた私は、悩みに悩んだ末に上司に相談したのです。
すると返ってきたのはたった一言。
「でも、あいつは一番稼いでるからね」
唖然としました。
そして、この言葉がずっと引っかかっていました。
稼いでいるから、何なのか?
稼いでいれば、ほかの大切なことを犠牲にしてもいいのか?
仮に「成果がすべて」という企業の価値基準があったとしても、共に働くメンバーの違和感や心理的な消耗を見て見ぬふりをして、本当に強いチームをつくることができるのか?
そんな疑問がいつまでも消えなかったのです。
そして、4年後―。
私は外資系投資銀行を退職して、「メンタルヘルス」と「リーダー育成」という2つの分野で起業しました。
職場でメンタルを崩した方が利用しやすいように、オンライン上でカウンセリングを受けることができるサービスを構築するとともに、職場でメンタル不調を生まないようなマネジメントができるリーダーを育てる事業を立ち上げたのです。
「健やかさ」を犠牲にせずに、成果を上げるマネジメントとは?
実際に事業展開をするなかで感じたのは、どの業界、どの職場でも、現場のリーダーは、似たような問題で苦しんでいるということです。
リーダーもメンバーも一生懸命に働いているし、能力が足りないわけでもない。だけど、頑張れば頑張るほど、チームは疲弊するばかりで、思ったような成果を出せずにいる……。そんな悩みをもつ職場をたくさん目の当たりにするなかで、そこに共通する「見えない要因」が潜んでいるように思えたのです。
なぜ、こんな問題が起こっているのか。
何か、現場のリーダーに「見えていないもの」があるのではないか。
そんな想いを胸に、私は多くの企業でチームづくりをサポートしながら、さまざまな試行錯誤を繰り返してきました。そして、そのなかで見出したのが、本書で紹介する心理的リソースという概念なのです。
そして、その教科書としてまとめたのが本書です。10万人以上のビジネスパーソン(リーダー・マネジメント層で約1万人)にカウンセリングやコーチングを提供し、270社以上でリーダー育成やチームづくりをサポートしてきた実務経験をベースに、心理学や組織論の知見を組み合わせながら、「心理的リソース・マネジメント」という考え方を体系的にまとめることを志しました。
本書を読むことで、心理的リソースという新しいレンズを手に入れ、チームやメンバーを見つめていただきたいと願っています。
その視点でチームを見つめると、これまでチームの「貴重な資源」を何に使っていたのかがはっきり見えてきます。すると、なぜこれまでうまくいかなかったのかも理解できるようになるでしょう。
そして、やる気を失っているように見えたメンバーでさえ、一人ひとりが「願い」をもち、それを叶えようとしている存在だと気づくはずです。その願いを大切にすることで、チーム全体の心理的リソースは回復していきます。
さらに、その回復した心理的リソースをチームの「目標」のために使うことができれば、メンバー一人ひとりの可能性を引き出しながら、成果を生み出すことができるようになるのです。
「でも、あいつは一番稼いでるからね」
そう言った上司への私の違和感は、
「でも、その人は周囲の貴重な心理的リソースを奪って、周囲が成果を出すことを妨げていますよね?」
ということだったのです。
(本原稿は『なぜ、あなたのチームは疲れているのか?』を一部抜粋・加筆したものです)
櫻本真理(さくらもと・まり)
株式会社コーチェット 代表取締役
2005年に京都大学教育学部を卒業後、モルガン・スタンレー証券、ゴールドマン・サックス証券(株式アナリスト)を経て、2014年にオンラインカウンセリングサービスを提供する株式会社cotree、2020年にリーダー向けメンタルヘルスとチームマネジメント力トレーニングを提供する株式会社コーチェットを設立。2022年日経ウーマン・オブ・ザ・イヤー受賞。文部科学省アントレプレナーシップ推進大使。経営する会社を通じて10万人以上にカウンセリング・コーチング・トレーニングを提供し、270社以上のチームづくりに携わってきた。エグゼクティブコーチ、システムコーチ(ORSCC)。自身の経営経験から生まれる視点と、カウンセリング/コーチング両面でのアプローチが強み。
【著者からのメッセージ】
はじめまして、櫻本真理です。
最近、さまざまな企業の現場リーダーから、「チームをマネジメントしていくの、ちょっと疲れてきちゃったな……」といった声を聞くことが増えてきました。
人員、予算などのリソースが限られているため、チームの目標を達成するのが難しい状況のなか、なんとかメンバーのモチベーションを高めてもらおうと、あの手この手の働きかけをしています。しかし、そうすることでかえってメンバーとの関係がギクシャクしているような気がするとおっしゃるのです。
しかも、メンバー同士が雑談で盛り上がるようなこともあまりなく、職場にはなんとなく白けたような空気が漂います。お互いに積極的に協力し合ったり、情報を交換し合ったりといった機運もあまり見られない。まさに、チーム全体がどんよりと疲れているように感じられるというのです。
そんなとき、リーダーが目を向けるべきものが、本書のテーマである「心理的リソース」です。
心理的リソースとは聞き慣れない言葉かもしれませんが、私たちはいつも、この心理的リソースを費やしながら仕事をしています。
職場での日常を思い返してください。資料作成、経費精算、会議・プレゼンの準備、データ入力、メール対応、上司・部下との1on1、クライアントとの折衝、他部署との調整、企画立案、突発的なトラブル対応……。
私たちは日々、こうしたタスクに追われていますが、その一つひとつをこなすたびに、心がすり減っているのを感じているはずです。そのときにすり減らしているのが、「心のエネルギー」とでもいうべき活力の源です。
このエネルギーを、マネジメントの視点で見ると、チームとして成果を上げるための貴重な「経営資源」ということになります。そこで、このエネルギーのことを、「心理的リソース」と名付けたというわけです。
そして、チームが停滞気味で、なんとなく疲弊していると感じるならば、メンバーたちがなんらかの理由によって心理的リソースを浪費し、それが枯渇しかかっている可能性を疑ってみるべきなのです。
たとえば、依頼した書類作成に時間がかかりすぎているメンバーがいたとします。このメンバーは、何もしていないように見えたとしても「この判断で合っているだろうか?」「この表現は間違ってるかな?」などと頭のなかで思考がループすることで心理的リソースを消費しているのかもしれません。
もしそうだとすれば、そのメンバーに対して、「まだですか? 早くまとめてください」などと伝えても、メンバーは焦りの感情を覚えることによって、さらに心理的リソースを消耗してしまう結果を招くだけでしょう。
それよりも、書類作成の業務を依頼するときのミーティングに少しの時間を費やし、そのメンバーの疑問点を解消してから取り掛かってもらうようにすれば、心理的リソースの浪費を防ぎ、その節約した心理的リソースを、書類を見やすくする工夫や、内容の整理に使ってもらえたはずです。
あるいは、リーダー自身の無意識的な言動が、メンバーの心理的リソースを奪ってしまっている可能性もあります。
たとえば、リーダーが、仕事のストレスから知らず知らずのうちに不機嫌な表情になっていたとします。本人からすれば、自分の表情が誰かに影響を与えているとは考えてもいないかもしれません。しかし、不機嫌そうなリーダーに話しかけるのは、誰にとっても嫌なものです。
先ほどのメンバーも、書類作成の途中で何度もリーダーに疑問点を確認しようとしたけれど、不機嫌そうなリーダーの様子を見て、相談するのを躊躇していたのかもしれません。
つまり、本来であれば、「価値を生み出す仕事」に使われていたはずの心理的リソースが、不機嫌なリーダーのご機嫌をうかがうという「価値を生み出さない」ことのために使われていたということです。これでは、チームの成果が上がるはずがありません。
これらはほんの一例ですが、チーム内の心理的リソースの状況を把握したうえで、それの浪費を防ぎ、それを上手に活用する能力を身につけることが、これからのリーダーには求められます。
本書では、そのために必須の知識やノウハウをふんだんに盛り込みました。本書を読むことで、心理的リソースという新しいレンズを手に入れ、チームやメンバーを見つめていただきたいと願っています。
その視点でチームを見つめると、これまでチームの「貴重な資源」を何に使っていたのかがはっきり見えてきます。すると、なぜこれまでうまくいかなかったのかも理解できるようになるでしょう。そして、適切な手立てを講じることで、メンバーの心理的リソースを増やしていくことができれば、見違えるように活気に溢れ、成果を生み出すチームを作り出すことができるようになるのです。