二項対立は捨てる――「何に対して」意味があるのか

中原:もっと言うと、「学歴は必要か、不要か?」という問い自体が、あまりにもナンセンスです。ふだんから学生たちにも、「AかBか?」みたいな問いは頭が悪くなるからやめなさい、と伝えていますね。

びーやま:この二項対立だと、問いの解像度が低すぎると?

中原:そうです。もっと問いを絞りましょう。「学歴は必要か不要か」では、答えようがありません。もっと踏み込んでください。学歴は「誰にとって」必要/不要なんでしょうか? また、「何に影響を及ぼすから」必要/不要なんでしょうか?

 たとえば、「学歴は、若年層の年収を上げる効果があるか?」と聞かれれば、「はい、あります」と言えます。そういうデータがありますからね。また、「学歴は、若年層のウェルビーイング(幸福)に関係しますか?」と問われれば、「学歴が高いほど、生涯年収が高くなり、貧困を回避しやすい。その結果、家族を持ちやすくなり、孤独を回避しやすくなるので、幸福度が高まる傾向がある」と説明できます。

びーやま:学歴の必要性を語るにしても、もっと問いを絞り込まないと、議論が空回りするということですね。

中原:そのとおりです。一方、全体として見ると(細かいことはたくさん議論の余地がありますが)、学歴は人生のさまざまな局面でポジティブな効果をもたらします。だから私は、「大学受験はがんばったほうがいい」というびーやまさんと「ほぼ同意見」なんです。

受験はなんのため?――個人の動機と「地元からの解放」

びーやま:ちなみに、中原先生は北海道・旭川の公立高校から東京大学へ進学されていますよね。当時、受験勉強はかなりがんばっていましたか?

中原:そうですね。1日15時間くらい、寝ているとき以外はずっと勉強していました。とはいえ、がんばっていたのにはちょっと事情があって……当時付き合っていた女の子が東京の大学に進学することになっていたんです。だから「彼女と一緒に上京したい!」という一心で東大受験に打ち込んでいました。人ががんばるときは、いつだって「よこしま」です(笑)。

びーやま:なんと、そんな事情が(笑)!!

中原:まあ、その後、めでたく一緒に上京した私は、彼女に振られることになるわけですが(爆笑)……。

 それはさておき、北海道の旭川に生まれると、学校の先生も両親も「さあ、北大に行け!」となる。「地元の国公立至上主義」は地方出身者の“あるある”ですよね。

「東北大学に行きたい」とか「東京の私立に行きたい」などと言おうものなら、「内地になんて行かんでええべさ」と強烈な圧力がかかる。もちろん、お金の問題はあります。私もそれほど裕福な家庭ではなかったので、相当、親には迷惑をかけました。

 しかし、そうしたものを跳ね除けるには「東京大学」という“錦の御旗”が必要だったんです。私にとって受験勉強は、「解放」の手段でもあったんだと思います。

びーやま:僕も茨城の公立高出身なので、事情はよくわかります。

 僕の場合、当時センター試験の結果が壊滅的で、担任に「この大学ならギリギリ国公立に行ける!」と偏差値的な理由だけで縁もゆかりもない北海道の公立大を勧められました。ですが、最終的には浪人して早稲田に行くことになりました。

 あのとき、浪人せずに北海道で大学生活を送っていたら、いまとはまったく別の人生だったと思います。

中原:私も地元の北大に行っていたら、まったく違うキャリアになっていたでしょうね。少なくとも、いまのように研究者の道には進んでいないと思います。いや、北大も素敵な大学なんですよ。そこは誤解なきよう。