新刊『EXPERT 一流はいかにして一流になったのか?』(ロジャー・ニーボン著/御立英史訳、ダイヤモンド社)は、あらゆる分野で「一流」へと至るプロセスを体系的に描き出した一冊です。どんな分野であれ、とある9つのプロセスをたどることで、誰だって一流になれる――医者やパイロット、外科医など30名を超える一流への取材・調査を重ねて、その普遍的な過程を明らかにしています。今回は著者が外科医として働くうえで学んだ「一流の感覚」を持つ人が知っていることについて『EXPERT』の本文から抜粋してお届けします。(構成/ダイヤモンド社・森遥香)
Photo: Adobe Stock
「一流の感覚」に一歩近づく
人は、知識を得ることと、実際に“わかる”ことのあいだに深い谷を抱えている。医師も、職人も、芸術家も、その谷を越える瞬間に「一流の感覚」を手に入れる。それは理屈ではなく、身体の奥で理解する世界だ。経験の積み重ねのなかでしか見えないものを、エキスパートは確かに見ている。ここでは、その「一流の感覚」を手に入れるまでの道のりを、『EXPERT 一流はいかにして一流になったのか?』の著者が実際に体験した物語とともに紹介する。
人の腹腔を開き、内部の異常を確認することを開腹術という。その手順は教科書で学べても、実際の手術での感覚や、事態が急変したときの対処法は本で学ぶことはできない。本を書いた医師は経験しているのだろうが、初心者はその経験を共有できる言葉を知らない。生身の人体にメスを入れる感覚も表現するのは難しい。生きている肉のぬめり、指先に感じる臓器の脈動、器具が固定されるときのカチッという音も、本からは伝わらない。医師自身の心臓の鼓動や、胃の奥からこみ上げる苦い感覚なども、もちろんわからない。本や動画でどんなに学んでも、本番ではまったく違う世界が待ち受けている。
教科書には、手術が成功したときの喜びや、思い通りにいかなかったときの恐怖についても書かれていない。患者が無事に退院していくときの満足感も書かれていない。私はいまでも、サイモンの腹部を開いたときの興奮と不安の入り混じった感覚を覚えている。何が見つかるかわからなかったし、自分がそれに対処できるかどうかもわからなかった。
だが手術を始めると不安が消えた。それはもはや私の手術ではなく、サイモンのための手術になっていたからだろう。私は彼の傷の状態を見極め、それを修復するために最善を尽くすだけだ。学んだ手順通りに事を進めることに意識を集中させた。運よく手術は成功したが、あとで振り返ると、もっとうまくできたのではないかという思いに襲われた。
その手術ののち、自分が一つの節目に到達したことを感じた。熟達にはほど遠かったが、ともかく不安を克服して難しい手術を成功させることができた。はじめて、自分はたんに外科的処置ができるというだけでなく、外科医になりつつあると実感した。
のちに、それは多くの分野の達人に起こる変化だと知った。当時はもちろん他の分野のことなど念頭になく、負傷者を助けることだけを考えていた。仕立て職人やミュージシャン、美容師、戦闘機のパイロットから学べるものがあるとは思いもしなかった。あれから数十年経ったいま、最初からそのことに気づいていたらよかったのにと思う。
(本記事は、ロジャー・ニーボン著『EXPERT 一流はいかにして一流になったのか?』の抜粋記事です。)




