この試合はテレビ中継が入っていてコメントする場面があったんだけど、橋本選手が『最後は俺がシメるから』と言ってきた。橋本選手はもともとマイクアピールがあまり得意ではないイメージだったんだけど、海外武者修行中にいろいろ観てきてるはずなんで、大丈夫だと思ったんだよね。それで本番のカメラが控室に来て、まず俺に振られたんで、たいした内容のないことを軽く吠えた。そのあと、橋本選手がキッチリとシメてくれると思ってたからね。
そうしたら橋本選手はうつむき加減で声を震わせながら『時は来た。それだけだ……』。俺は『それだけってなんだよ、もう終わりかよ』と思ったよ」
橋本はとにかく
いちばん上を目指していた
「この場面のことは、今もファンの人から『蝶野さん、あの時、笑いこらえてましたよね』って言われるんだけど、俺は吹き出さなかっただけマシだよ。当の橋本選手本人は、自分で言ったあと、後ろを向いてカメラの見えないところで笑ってたからね。
あの時は猪木さんと坂口さん側にもモニターがあったから、このくだりは見ているはずなんだよ。どんな反応をしたのか、聞いてみたいよね」
結果的にこの試合は橋本&蝶野組の負けとなり、勝利した猪木はこれも伝説となる「1、2、3、ダー!」を初めて公開している。そして新日本マットはこの試合を契機にさらなる世代闘争が激化。橋本はその中心へと躍り出ていくことになる。
「彼はとにかくいちばん上を目指してた人間だと思うんだけど、その道を着実に進んでいった。俺らの世代でいちばん最初にIWGPに挑戦したのは橋本選手だし、長州さんにシングルで勝ったのも橋本選手が最初じゃなかったかな。
あの頃の新日本は格を重んじてたから、世代交代というのは本当に難しいことだったんだけど、橋本選手はそれを突破していったし、実際、周りからも評価されるような試合をやっていた」
橋本の訃報を聞き
すぐさま病院に駆けつけた
05年7月11日、橋本は脳幹出血で倒れ、救急搬送される。そのまま帰らぬ人となった。
「朝11時ぐらいだったかな。坂口さんから『橋本のこと、なんか聞いてるか?』という連絡があって、俺は『いや、何も聞いてないです』と答えて電話を切った。すぐに橋本選手の携帯電話にかけたら、女性が出た。その時はわからなかったけど、(冬木)薫さんだよね。それで『蝶野さんだけに言いますけど、橋本は今朝亡くなりました』と。







