薫さんは新日本関係者に知り合いがいなくて、誰に伝えればいいのかわからなかったんだろうね。俺はすぐに坂口さんに折り返して『橋本が亡くなったようです』と伝えて、(妻の)マルティナと一緒に病院に向かった。
この時点で橋本選手が亡くなったということは公表されてないんだけど、どこかで噂を聞きつけたマスコミがすでに病院に集まってきていた。それで病院の人に聞いたら、橋本選手の遺体は検死のために警察に向かった、と。
それで俺も警察に行ったんだけど、着いたら駐車場にでっかいセンチュリーが停まっててね。そこから人相が悪い人が降りてきたから、借金の取り立て屋がもう来てるのかと思ったら、その人は橋本選手を晩年まで世話をしてくれていた社長さんだったんだよ。その社長さんが、橋本選手の遺体は検死が終わって安置所に行ってますと教えてくれて、そこでようやく手を合わせることができた。
亡くなって20年経っても
橋本選手の話は尽きない
闘魂三銃士が揃い踏みすることは永遠になくなってしまった。しかし、橋本の存在感は今もプロレス界に影響を与え続けており、様々なイベントでも回想され続けている。
「橋本選手は同じ時代を生きた同志だった。闘魂三銃士の3人は、そこまで仲良くはなかったかもしれない。でも、変な足の引っ張り合いもしないし、みんなそれぞれ自分で自分の立ち位置をしっかりつくっていたから成立した。ケンカすることも、ほとんどなかった。あと、女のタイプもそれぞれ違ったから、それで揉めることもなかった。
たまたまなんだけど、闘魂三銃士がみんな近場に住んでた時期があった。よくお互いの家に行ったり来たりしてたから、あの頃がいちばん関係性が近かったかもしれない。ただ、ウチに橋本選手を呼ぶとマルティナが嫌がってたね。あのひと、危ないことしか言わないからって(笑)。
亡くなってから20年も経ったけど、橋本選手の話は尽きないよね。その時々の行動一つひとつに、でっかい足跡を残してるから、いまだにいろんなエピソードが出てくる。そういう意味では、闘魂三銃士は、間違いなく橋本選手のおかげでここまで引っ張ってこれたんじゃないかな。その点については、あらためて感謝したいね」







