蝶野正洋 同書より転載
「闘魂三銃士」として、橋本真也、武藤敬司とともに、数々の激闘を繰り広げてきた蝶野正洋。“黒のカリスマ”として今もなおプロレス界に大きな影響力を保ち続けている彼が思う、“破壊王”「橋本真也」とは。※本稿は、小川直也+佐山聡+蝶野正洋ほか『証言 橋本真也 小川直也、佐山聡、蝶野正洋らが語る破壊王と「1・4事変」の真相』(宝島社)の一部を抜粋・編集したものです。
蝶野正洋が語る
「闘魂三銃士」の誕生
橋本真也、蝶野正洋、武藤敬司のデビューから4年後の88年、猪木肝いりのユニットとして「闘魂三銃士」が企画される。候補となるヤングライオンがひしめき合うなか、当時、それぞれが海外マットで武者修行中だった橋本、蝶野、武藤の同期3人が抜擢され、フレッシュな新世代ユニットとして売り出されることとなった。
「最初に闘魂三銃士の話を聞いた時は『いや、俺なんてとんでもない。なんで選ばれたんだろう』とは思った。ネーミングについては『闘魂』という言葉をまだ使うんだ、ダサいな、と思った(笑)。しかも『三銃士』なんて、昭和のセンスだよね。でも、橋本選手はプロレスにおける『闘魂』という言葉の伝統と重みを十分に理解していたし、いつかはその看板を受け継ぎたいと思っていたから、すごく喜んでいたね。
その頃、橋本選手はカナダのカルガリーに長期遠征してたんだけど、安達勝治(ミスター・ヒト)さんがいて、日本人選手も何人か遠征していて、新日本系の外国人選手も多かったから、楽しい時期だったみたいだね。







