佐山聡さん同書より転載

新日本プロレスに彗星のごとく現れ、瞬く間に一大ブームを巻き起こした“初代タイガーマスク”こと佐山聡。そんな伝説的存在が、1999年1月4日に東京ドームで行われ、今も語り継がれる“事件”――橋本真也対小川直也の「1・4事変」について語った。※本稿は、小川直也+佐山聡+蝶野正洋ほか『証言 橋本真也 小川直也、佐山聡、蝶野正洋らが語る破壊王と「1・4事変」の真相』(宝島社)の一部を抜粋・編集したものです。

当初の注目度は高くなかった
「1・4東京ドーム」の対抗戦

 小川直也がデビューした翌年、アントニオ猪木は98年4月4日の東京ドームで現役を引退。満を持して自身の団体、世界格闘技連合あらためUFO(ユニバーサル・ファイティングアーツ・オーガニゼーション)を離陸させた。

 時を同じくして小川も新日本との年間契約を更新せず、ワンマッチ契約へ切り替えている。このあたりから、すでに猪木UFOと新日本の対立軸はでき始めていた。そして同年6月5日に行われた新日本の日本武道館大会のバックステージで、小川が明治大学柔道部の先輩でもある坂口征二社長を殴打する事件を起こし、坂口はUFOとの絶縁を宣言。前年まで新日本ドーム大会の目玉だった小川の主戦場はUFOに移ることとなる。

 こうしてUFOは猪木が主宰する“新日本の敵対団体”としての存在感を見せるが、肝心の興行では苦戦した。98年10月24日、両国国技館で行われた旗揚げ戦は、大会5日前に東京・池上本門寺の力道山墓前で「決意の断髪」として、猪木と佐山が揃って丸坊主になるなど、猪木らしい驚きの話題づくりもあり、1万人(主催者発表)の観客を集めた。しかし、続く12・30大阪城ホールでの第2戦は空席が目立った。