一応言っておくが、酔うことだけに飲酒の享楽を背負わせる気はない。筆者自身は酒を嗜むが、他の客を不快にさせる酔っぱらいは大嫌いだ。当然ながら、酒を飲みたくない人に酒を勧めたいとも思わない。
ただ、「酔う」の価値は守りたい。
時計を見ながら映画を観るようなもの
飲み屋でのスマホやタブレット注文に似ているものがある。時間経過を気にしながらの映画鑑賞だ。
映画でなくてもいい。ドラマでもアニメでも、読書でも音楽鑑賞でもいい。没頭して楽しむべき享楽の最中に時計をチラチラ見るのは、自分がいま置かれている状況を、第三者視点で俯瞰し、数値に置き換え続ける行為だ。今を冷徹に微分し続ける態度、と言ってもいい。
ここまで何分、そろそろクライマックス、あと何分で終わり。そんなことを気にしながら、作品世界に没頭することはできない。逆に、没頭できないほどつまらない作品であれば、あと何分で終わるだろうかと頻繁に腕時計を見る。苦痛な会議や退屈な講義ほど時計に目が行きがちなのと同じ。
そういう意味では、スマホ注文店はあまり参加したくない飲み会にこそ向いている。常に俯瞰姿勢を崩さず、自分を制し、覚め続け、会の終了という解放(ゴール)に向かって、一心不乱に2時間を走り抜ける。まるで、ストイックなフルマラソン。
苦痛に耐え抜き、無事にゴールした暁には、自らを労うべく別の行きつけの店に単身ハシゴする。のれんをくぐり、間髪入れず言う。「生一つ!」。もちろんスマホは使わない。
稲田豊史『ぼくたち、親になる』(太田出版)







