優しくて、温かくて
沁み通るような寂しさがある
(テープの音声 渥美さん)
「こんにちは。おばあちゃんからお手紙いただきました。僕は寅さんの映画に出ている、おじさんです。名前は渥美清といいます。よしお君は毎日元気でやってますか。
僕は、今、こうやって元気そうに見えますけども、生まれたときはね、1900ぐらいしかなかったんです。お父さんの片っぽの手のひらの上にちょこんと乗っかったくらいに、それは小さな赤ん坊でした。あまり体が丈夫でなくて、小学校も休む日の方が多くてね、全部を通して、4年ぐらいしか行っておりません。
いろんな病気をしました。ほとんど体操の時間は、一人ポツンと運動場に立って、みんなのことを見ている方が多かったです。それから大きくなって、25歳の時は、また病気をしました。これで死ぬか生きるかくらいの大きな手術をして、10日間ぐらいは、もう助からないんじゃないかなと言われるくらいに危篤でした。
国民的人気映画シリーズ第1作目 映画『男はつらいよ』Ⓒ1969松竹
今でもあまり無理ができません。僕のことをいつもいつも最後まで心配してくれていたおふくろも、もういません。生まれた時から、親子4人きりの家族でしたが、一番初めにお兄ちゃんが、そしてお父さん、お母さん、みんな死んで、僕一人だけになりました。
でも、体を大切にして一生懸命生きています。僕の体のことだけを家族の人は心配してくれました。だから、僕が自分の体を大切にするということは、僕の家族を大切にすることだと思っています。
よしお君も、つらいことや、じれったいことや、悲しいことがたくさんあるでしょう。でも、もっとつらい人がいっぱいいます。おじさんは何年間か遠いところの療養所に入っていました。そのとき、そういう人をいっぱい見ました。それはもうきりがありません。
おばあさんや、おうちの人の言うことをよく聞いてね、可愛がられるようにしてください。そして、楽しく元気に毎日を過ごしてください。
山田洋次・黒柳徹子『渥美清に逢いたい』(マガジンハウス、2024年9月5日発行)おじさんも、映画やテレビに出るとき、よしお君のこと思い出します。わざわざお手紙をくださったおばあちゃん、それから一生懸命働いてるお父さんに、よしお君からよろしくお伝えください。それでは、さよなら」
黒柳 ……。
山田 素晴らしい。完璧という感じがしますね。なんと心がこもっていることか。こういう人なんですよ、渥美さんってね。
黒柳 ええ、ええ。
山田 チラチラと少年時代の話は聞くけども、ちょっと僕らの想像を超えていますよね。何なんだろう、この人はと。優しくて、温かくて……けれど芯の方には、なんというかな。沁(し)み通るような寂しさがありますよね。
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