名優・渥美清の「死に際」が男前すぎる…黒柳徹子に残した「最後の言葉」に涙が止まらないPhoto:JIJI

役者という使命のために、闘病を続けながらも、国民的映画『男はつらいよ』シリーズの主演を演じ続けた渥美清。病気で演じることが苦しくなった晩年も、そして別れの後までも、その姿勢を徹底的に貫いた。あまりに男前すぎる渥美清の「死に際」とは。黒柳徹子に残した「最後の言葉」とは。テレビ番組での共演をきっかけに渥美さんと親友同士になった黒柳徹子さんと、『男はつらいよ』の山田洋次監督が語り合う。
※本稿は山田洋次・黒柳徹子『渥美清に逢いたい』(マガジンハウス、2024年9月5日発行)の一部を抜粋・編集したものです。 

「すっと消えるようにいなくなりたい」
渥美清の理想の死に方

黒柳 渥美さんが亡くなったというお知らせをくれたのも、山田監督でした。お電話をくださったんですよね。

山田 そうでしたね。一番の親友に知らせなくてはいけないと思って、電話をしたんです。沢村貞子さんのお宅にいらっしゃると聞いて、そちらに。

黒柳 そう。沢村さんのところにいたんです。あの時、沢村さんも危篤だったんです。

山田 そうでしたか。

黒柳 「マスコミにはこれから発表するのですが、それで知るのでは気の毒だと思ってお伝えします。亡くなったと、僕も今聞いたんです」そうおっしゃいましたね。

 母さん、沢村さんも(※1)、渥美さんと一緒に番組を出ていましたから、伝えるかどうか悩みました。母さんらしい慰め方をしてくれるかなとも思いましたが、やっぱり言わない方がいいなと思って、言いませんでした。

山田 ええ。

黒柳 それからすこしして、母さんも亡くなりました。母さんはね、旦那さん、父さん(※2)のことが本当に大好きだったんです。その旦那さんが先に亡くなって、すっかり気落ちしていた。

山田 沢村さんのお宅にお呼びいただいたことがありました。まだ若かった監督数人にご馳走してくださると言ってね。その時、沢村さんの旦那さんもいて、何かの仕事について考えていた。よくよく考えると、それで僕たちが必要だったんですね。

 夫のために僕たちを呼んで、食事させて、非常に気を使っていた。そうか、この人は夫のためにこれだけ一生懸命にやるんだと思いましたね。

黒柳 その時は横須賀の方でしたか?

山田 違いましたね。

黒柳 それじゃあ、代々木上原の方。

山田 そうそう。

黒柳 引っ越す前のお宅ですね。

山田 つまり徹子さんにとっては「母さん」「兄ちゃん」と慕っていた二人を、同じ時期に亡くされた。

黒柳 そうでしたね。

山田 渥美さんは以前から、「すっと消えるようにいなくなりたい」と話していましたね。「あれ、渥美清って近頃どうしたんだ?」「死んだよ」「そうか」……というぐらいがちょうどいいんだと。

黒柳 ええ。

山田 仰々しい葬式やなんかは一切困るんだと言っていた。ですから、奥さんにも厳しく「何もしないでほしい」とおっしゃったみたいですね。

黒柳 家族だけで。

(※1)黒柳徹子さんは沢村貞子さんを「芸能界の母」として「母さん」と呼んで慕った。
(※2)沢村貞子さんの夫・大橋恭彦さんのことを黒柳徹子さんは「父さん」と呼んで慕った。