判例を覚えることよりも
ルールを創る力が求められる

 私は現在、内閣府の規制改革推進会議の議長代理を務めていますが、そこでの議論は、まさに「規制のリデザイン」、つまり既存のルールをいかに現代社会に合わせて作り変えていくか、という創造的な作業です。

 これは、単に規制を緩和する、なくすといった単純な話ではありません。

 例えば、最近話題になっているライドシェアの問題も、本質的には、どのような制度設計、どのようなルールのリデザインをすれば、既存のタクシー業界との共存(より正確には、ポイント・トゥ・ポイントの旅客輸送サービスの供給能力とそこで働く人の健全な賃金と労働環境を守る)を図りつつ、消費者の利便性向上や新たな移動サービスの創出といった社会的便益を実現できるのか、という創造的な問いに帰着します。

 これは、司法試験で問われるような、既存の法律の解釈適用能力とは異なる、まさに「法創造」の能力が問われる世界です。

 過去の判例だの大先生の学説だのに縛られず、未来に向かって何が本質的な問題なのかをリアルにありのままに見つめ、人間社会の未来のため、私たちが現実により良く生きて行けるようなルールを考える総合知が問われるのです。

 しかし、残念ながら、規制改革会議のような場においても、法律を書ける、あるいは法的な思考に基づいて制度設計ができる人材というのは、必ずしも多くはありません。

 かつては、霞が関の官僚が高いリーガル・リテラシーと立法能力を有していましたが、近年はその能力も低下していると言わざるを得ない状況です。

 その結果、新しい社会のニーズに対応した柔軟かつ効果的なルールメイキングが遅々として進まない、という事態も散見されます。

 国際標準の策定競争において日本がしばしば劣勢に立たされるのも、この国際的なルールメイキングの舞台で活躍できるだけの、高いリーガル・リテラシーと交渉力を備えた人材が不足していることと無関係ではありません。

 グローバルな競争環境の中で日本が生き残っていくためには、法曹界もまた、国内のドメスティックな問題だけでなく、国際的なルール形成に積極的に関与していくという気概と能力を持つ必要があるのです。