「もう嫌だ」人生に疲れた時…心のモヤモヤがスーッと消える考え方
誰にでも、悩みや不安は尽きないもの。とくに寝る前、ふと嫌な出来事を思い出して眠れなくなることはありませんか。そんなときに心の支えになるのが、『精神科医Tomyが教える 心の荷物の手放し方』(ダイヤモンド社)など、累計33万部を突破した人気シリーズの原点、『精神科医Tomyが教える 1秒で不安が吹き飛ぶ言葉』(ダイヤモンド社)です。ゲイであることのカミングアウト、パートナーとの死別、うつ病の発症――深い苦しみを経てたどり着いた、自分らしさに裏打ちされた説得力ある言葉の数々。心が沈んだとき、そっと寄り添い、優しい言葉で気持ちを軽くしてくれる“言葉の精神安定剤”。読めばスッと気分が晴れ、今日一日を少しラクに過ごせるはずです。
Photo: Adobe Stock
人はなぜ生きるのか?
今日は、「人はなぜ生きるのか」ということについてお話ししたいと思います。私は精神科医だからといって、この哲学的な問いの答えを持っているわけでも、その専門家であるわけでもありません。あくまで「私だったらどう考えるか」というお話です。
そもそも確率論として、生き物としてこの世に存在する確率がどれほどなのか、計算方法も分かりません。しかし、この世に存在するもののほとんどは「無生物」だと思うのです。
その中で「生き物」として存在する確率は非常に低く、さらに「人間」として、この地球上で文化的な生活を営んでいる。もしかしたら他の星にも生命体はいるかもしれませんが、今ここに「人間」として存在しているわけです。
私たちは「超レアなチケット」を手にしている
そして、そこには「自分」あるいは「私」という自我が与えられています。これは、とてつもなく貴重なことではないかと思うのです。
例えば、Mrs. GREEN APPLEやYOASOBIのような超人気アーティストのライブで、最前列の席が当たったとします。そのチケットを手にして、「参加しない」という選択肢があるでしょうか。
それと全く同じことだと私は思います。私たちが今ここに「いる」ということは、ものすごくレアなチケットを手にしているのと同じです。「なぜ生きるのか」と問うより先に、「せっかく生きているのだから、生きない理由がありますか?」ということになってくると思うのです。
この貴重な瞬間を手にしているからこそ、「私がここにある」という感覚を、なるべく大事にしたいと考えることが大前提です。
「心のモヤモヤ」と「ただ、ここにいる」という価値
生きていると、そうした存在の根本的な貴重さを忘れがちです。他人との比較、うまくいかないこと、裏切りなど、様々な気になることが振りかかってきます。
そのたびに「もう嫌だ」「なんで生きているんだろう」と思ったりもしますが、そんなことを考えなくても、そもそも「今、ここにある」という状態自体が、計り知れないほど貴重なものです。
さらに「時間」も同様です。無限かもしれない雄大な時間の中で、私たちが生きられるのは長くてもせいぜい100年ほどです。それは本当に「一瞬」のことです。
「生きる」ということの根源的な理由
「貴重でレアなチケットが当たりました。しかも、そのコンサート(人生)は一瞬で終わってしまいます」――こう言われたら、もう、その場に「ただ、いる」ことを味わうだけではないでしょうか。
私はよく、天気の良い日に散歩をしながら「気持ちいいな」「太陽が暖かいな」「風が心地よいな」と感じます。その感覚とともに、「私はこの両足で地球の上に立っている」「心地よいと感じている私が、今ここにいる」と思うだけで、とても幸せだと感じることがあります。
これが私にとって、生きる上での全ての根源的な理由です。
人生の「飾りつけ」と「エイジング」とは?
自分がどういう立場か、物事がうまくいくか、いかないか。そういった他の要素は、あくまで「飾りつけ」にすぎません。人生の根源的な価値から見れば、些細なことです。
そのように考えると、「年齢を重ねる」ことも違って見えます。それは「老化」ではなく、単なる「エイジング(経年変化)」です。アンティーク家具や時計の世界では、エイジングは「味が出る」としてプラスの要素と捉えられます。
人間も同じで、自分の経年変化を楽しめばよいのです。どうせ私たちは、いつか土に還るのですから。そう思えば、「生きる意味」などをあえて難しく考える必要もなくなるのではないでしょうか。
もし「生まれ変わる」としても…
「輪廻転生(りんねてんしょう)」という言葉があります。もし生まれ変わりが本当にあったとしても、次に人間に生まれ変われる可能性は、極めて低いかもしれません。
例えば、蚊(か)や草履虫(ぞうりむし)に生まれ変わるかもしれません。蚊なら人間にパチンと叩かれて一瞬で生命が終わるかもしれませんし、草履虫であれば、温泉に入って「気持ちいい」と感じたり、マクドナルドのポテトを「美味しい」と感じたりする喜びもありません。
もし生まれ変わったとしても、それはもう「今の自分」ではありません。そして、生まれ変わることなく、今回限りである可能性も大いにあります。そう考えたら、「生きる理由」が他にいりますでしょうか。
原点に立ち返る:「今、ここに在る」ということ
人生には、色々悩んだり、嫌な思いをしたりして、「もうこの世にいたくない」と思うこともあります。しかし、そういう時こそ、「私は今、ここに存在している」というゼロの地点、原点に立ち返ってみてはどうでしょうか。その事実のありがたみや貴重さを再確認するのです。そして、この時間も高が知れている、限られている、と。
私は子どもの頃、よく一人で散歩をしていました。大きな木を見ながら、「この木と同じように、僕の足も地球と繋がっている。空気が美味しいな」などと考えていました。妙なことを考える子どもだったかもしれませんが、その「自然の一部として、今ここにある」という感覚が、私の原点なのです。
それだけで十分であり、人生で起きる様々なイベントは、しょせんは「プラスアルファ」のものです。「生きる理由」について悩んでしまう時、それはおそらく、その「プラスアルファ(付加価値)」の部分で考えすぎているのだと、私は思います。
※本稿は『精神科医Tomyが教える 1秒で不安が吹き飛ぶ言葉』(ダイヤモンド社)の著者による特別原稿です。








