The Legend Interview不朽
「ダイヤモンド」1935年4月11日号に掲載された郷誠之助(1865年2月3日~1942年1月19日)のインタビューだ。郷は、多くの企業の経営や再建に関わり、日本の財界をけん引した実業家だ。男爵の爵位を持ち、東京株式取引所理事長や日本商工会議所会頭、貴族院議員も務めるなど、財界の重鎮だった。郷の東京・番町の自宅で開かれた若手実業家のグループ「番長会」は、政財界に影響力を持つ実力者集団として知られた。インタビューには番長会の世話人の一人で、後に京成電気軌道(現京成電鉄)社長となる後藤圀彦も、聞き手として参加している。

 インタビューは「人物雑談」と題され、当時の政治家や財界人について、郷が生々しく語っている。現代の感覚では財界人同士の評価は遠慮して言葉を選ぶところだが、驚くほど率直に語られていて、当時の空気感や上下関係、財界人の性格が手触り感をもって伝わってくる。

 例えば、現代では英雄視されがちな高橋是清についても、「神話」ではなく“同時代人の目線”で描かれる。「人格は良いが経済政策には批判もある」というバランスの良い評価だ。ほかにも広田弘毅、団琢磨など、昭和史の重要人物が“生身の人”として登場する。団の頑固さや執念深さ、広田の誠実さなど、それぞれの性格が生々しく分かる。

 渋沢栄一への評価も非常に興味深い。「凡人の偉い人」との評は、現代のビジネス書で描かれる渋沢像とは異なる。調整型のリーダーとしての本質がよく出ている。晩年の渋沢が語ったという教育論(徳育の欠如への危惧)は、いま読んでも示唆的だ。

 ちなみにここに登場する井上準之助と団琢磨は、インタビューの3年前に血盟団と呼ばれる右翼集団に暗殺されている。大蔵大臣だった高橋是清も、1年後の二・二六事件で暗殺された。深刻な不況・格差の拡大・政治不信・軍部の台頭が重なり、日本に行き場のない閉塞と焦燥が、社会全体ににじみ出ていた時代でもある。(敬称略)(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)

高橋是清は無我の境地に入った人
広田弘毅は正直者の見上げた男

「ダイヤモンド」1935年4月11日号1935年4月11日号より

――近頃、高橋是清(大蔵大臣)さんがすてきに評判がよろしゅうございますが、高橋さんはどういう人柄の方ですか。

 あの人の家に行くと、西園寺公望(元首相)さんの書いた「淡きこと水の如し」という額が掛けてある。その通りの人です。

――経済知識も豊富なようですね。

 それについては相当批評がある。あの人は良いときばかり大臣になって、苦しいときには出ていない。岡田啓介内閣ができて、高橋さんがまた出ると決まったとき、私は、新聞記者に向かって、高橋も苦しいところをやってみたらいいだろうと言ったことがある。今まで積極財政ばかりやっているが、いずれ膨大予算、赤字公債の反動が来るに相違ない。そのとき、高橋はどうやるか……。

 しかし、高橋は元老重臣の間には大層評判が良い。東郷平八郎元帥以来の人望だ。

 高橋氏自身も、晩節を全うしたいということから、己を空しうしてお上の御奉公をしようとしている。だから、政党など眼中にない。実に立派で、人格においてはまれに見る人だ。あの人と話をしていると、実に心持ちがいい。いわゆる無我の境地に入った人だ。