1997年7月26日号中坊公平住宅金融債権管理機構社長
 バブル経済崩壊に伴う不良債権問題の象徴となった住宅金融専門会社(住専)。住専は70年代に、大蔵省(現財務省)主導でつくられた個人向けの住宅ローンを専門に扱うノンバンクだったが、バブル期には貸しビルやゴルフ場、リゾート開発などの不動産関連融資に手を広げていった。いずれの住専も大手銀行や農協が株主となっており、そうした母体行のダミーとして反社会的勢力への貸し出しなども担う存在になっていた。

 ところがバブル崩壊を機に、住専7社の債権10兆7000億円のうち約6兆8000億円が、回収不能と目される不良債権となった。それらの不良債権は住宅金融債権管理機構(現整理回収機構)に移管され、15年をかけて回収することになった。そして住管機構の社長に就いたのが中坊公平(1929年8月2日~2013年5月3日)である。

 弁護士だった中坊は、森永ヒ素ミルク中毒事件(73年)の被害者弁護団や、千日デパートビル火災テナント弁護団の団長を務めるなど、“市民派”として名を馳せた。85年には、詐欺まがいの手口で高齢者らから約2000億円を集めて倒産した豊田商事事件で、同社の破産管財人として徹底的な資金回収を敢行し、被害者救済に努めた。その中坊が、火中の栗といえる住管機構の社長を、無給で引き受けたことは大いに話題となった。

 住管機構の職員2600人は主に元住専の社員や母体銀行の行員だ。中坊は自らの不良債権回収の経験・ノウハウを伝えながら、彼らを鼓舞し、巧妙な資産隠しで返済から逃れようとする悪質債務者たちと戦った。また、回収作業だけでなく、母体行のずさんな融資と危機を放置した行政の責任追及も徹底的に行った。住専問題では、金融システムの危機回避を名目に6850億円の公的資金が投入されたが、中坊の著書『罪なくして罰せず』(朝日新聞出版)にあるように、法的には罪のない国民が罰せられるかのごとく税金が投入されるのは許されないというのが中坊の持論だった。

 その姿から「平成の鬼平」と呼ばれた中坊のインタビューが、「週刊ダイヤモンド」97年7月26日号に掲載されている。中坊は、住専問題をはじめとするバブル期の事件の問題は、「小さな暴力を許容したことにある」と指摘する。経営者も警察もマスコミも、毅然と戦わないで小さな暴力を是認してきた。その社会の構造と戦う先兵となることが、国策会社としての一つの役割だと中坊は説き、実際に体を張って暴力団とも対峙した。

 また中坊は、住専処理について「司法が本来の機能を果たさなかったから、政治と行政だけで仕切ってこんな不透明な決まり方をしてしまった」と指摘する。日本弁護士連合会会長も務めた中坊としては、「司法の責任」として住管機構の社長を引き受けたのだという。

 ところが02年、住管機構は債権回収の際に別の債権者をだまして不当な利益を得たとして詐欺容疑で告発され、中坊は責任を取って社長を辞任し、自ら弁護士資格を返上した。中坊が個人的な利益を得ていた事実はなく起訴猶予処分となったが、この背後には中坊の存在を煙たがり、失脚させようという何らかの力学が働いていたとみる向きも多い。(敬称略)(週刊ダイヤモンド/ダイヤモンド・オンライン元編集長 深澤 献)

餌を食わされるな!
骨を食え、しゃぶらないかん

――どのようなかたちで不良債権を回収しているのですか。

中坊公平、平成の鬼平が戦った「小さな暴力を許容してきた社会構造」1997年7月26日号

 わが社はだいたい8兆円分の不良債権を譲り受けました。このうち、末野興産のような「大口、共通、悪質」のものなど、およそ5兆円分を直轄して回収しています。私は豊田商事やら幾多の無茶苦茶な債権の回収を経験していますから、案件一つ一つの報告を受け、回収のノウハウを教えとるわけです。

 債務者というのは最近なかなか悪うなっていてね、一応餌みたいのを置いておく。ちょっと調べたら分かるような隠し財産つくってね。するとわが方はその餌を食うて、「社長、こういう隠し財産を発見しました」って。それで「おまえはばかとちゃうか。これ魚でいうたら餌を食うとんのや。骨を食え、しゃぶらないかん」と。おおかた怒鳴ってまっせ(笑)。

――そうすると社員も変わってくる。

 この前、回収責任者会議というのを初めてやったんです。約200人出席して、好事例報告をした。それまでは、行政をけんかしにいくときもいつも私が先頭、自分一人えらい苦労しとるなあ、と思っておった。

 ところがね、その報告を聞いていて、ちょっとこれは勝手な思い上がりであったと。皆の事例を4時間も聞いていると、そこに一種の迫力がある。それで、うまくいくのには五つくらいの共通点があるな、と最後の総括で皆に言いました。

――その五つというのは?