マインドワンダリング(ぐるぐる思考)とは、脳がデフォルト状態にあるときに、自分についてあれこれ考えて、それが止まらなくなることだ。このネガティブなシミュレーションが過去に向かうと「後悔(もしあのときこうしていれば、こんなことにはならなかったのに)」、未来に向かうと「不安(もしこのままだと、将来ヒドいことが起きるにちがいない)」になる。このとき活性化するのが、脳の「DMN(Default Mode Network:デフォルトモード・ネットワーク)」だ。

【参考記事】
●なぜひとは「マインドワンダリング」ぐるぐる思考から抜け出せないのか?

 うつとは、DMNのシミュレーションが極端にネガティブになり、それが固定して抜け出せなくなってしまうことをいう。抗うつ剤のような標準的な治療で症状が改善しないのが「難治性うつ病」で、その急増が近年、先進諸国で大きな社会問題になっている。

 ところが10年ほど前から、難治性うつ病の“特効薬”が話題になりはじめた。場合によっては、たった1回の治療で数十年におよぶ重いうつを終わらせてしまうこともあるという。この「奇跡の薬」がLSDなどの幻覚剤だ。

難治性うつ病の“特効薬”がLSDなどの幻覚剤。神経科学と精神医学に新たな革命をもたらしつつある、幻覚剤(サイケデリクス)の再評価とは?イラスト/にしやひさ / PIXTA(ピクスタ)

「幻覚剤(サイケデリクス)が、神経科学と精神医学に新たな革命をもたらそうとしている」

 日本は欧米に比べて薬物への忌避感や処罰感情が強く、幻覚剤は覚醒剤と同じように、ひとたび手を出せば「人間やめますか」になると思われている。だがこの理解は、いまやすっかり時代遅れになってしまった。

「幻覚剤ルネサンス」と呼ばれる精神医学の潮流が広く知られるようになったのは、2018年にジャーナリストのマイケル・ポーランが『幻覚剤は役に立つのか』(宮﨑真紀訳/亜紀書房)を出版し、ニューヨーク・タイムズのベストセラー1位になってからだ。その後、Netflixがポーランをホストに『心と意識と: 幻覚剤は役に立つのか』を制作した。

 ポーランはもともと園芸に興味があり、そこから植物と人類の関係について書いてきた。幻覚剤をテーマにしたのは、中南米などで古くからサボテンに含まれる幻覚作用のある物質が儀式に使われてきたからだ。

 幻覚剤の歴史は1943年に、薬用植物の有効成分を研究していたスイスの化学者アルバート・ホフマンが、麦角から偶然に幻覚作用のある物質を合成したことで大きく変わった。LSD-25と名づけられたこの物質は、0.02mgというきわめて少量でも強力な幻覚効果をもたらすことがわかったのだ。

 安価で効果の高いLSDは、開発元の製薬会社が試験用薬剤として欧米諸国の大学や研究機関に無償提供したこともあり、1950年代に積極的に研究されるようになる。被験者が体験する幻覚が統合失調症の症状に似ていることから、精神疾患の原因を突き止めようとしたり、抑うつ症、不安神経症、強迫神経症、自閉症の治療薬として使用されたりもした。

 さらにCIAがLSDを軍事利用する研究に乗り出し、1953年4月から「MKウルトラ作戦」が始まった。他の部局の職員や一般人など、なにも知らない被験者にLSDを投与して、化学兵器としての効果を調べようとしたこの実験は、1966年にスキャンダルになって中止されるまで続いた。しかしその頃には、ハーバード大学の心理学者ティモシー・リアリーの「布教」もあって、LSDは西海岸のヒッピー(フラワーチルドレン)たちの間で広まり、音楽やアートに大きな影響を与えた。

 1968年にアメリカでLSDの販売が重罪とされ、世界各国がこの規制に追随したことで最初のブームは終わったが、この間に精神疾患の治療薬としての顕著な効果が報告されていた。2000年代になると、一部の研究者がこの古い記録を掘り起こし、小規模の試験ではあるものの、末期がん患者の不安やうつ病患者の抑うつ症状に驚くべき効果があることが報告されはじめた。こうして始まった幻覚剤の第二次ブームの中心にいるのが、イギリスの神経精神薬理学者デヴィッド・ナットだ。

 幻覚剤を研究しているからといって、ナットはマッド・サイエンティストの類ではなく、欧州脳委員会、英国精神薬理学会、英国神経科学学会、欧州神経精神薬理学会の会長を務めた第一人者だ。そのナットは、イギリスの薬物乱用諮問委員会でMDMAの規制緩和を提案し、「エクスタシー(MDMA)は乗馬より安全」と述べて会長職を解任されたものの、それ以降も幻覚剤の有用性について大胆な発言を続けている。

「幻覚剤(サイケデリクス)が、神経科学と精神医学に新たな革命をもたらそうとしている」という一文から始まる『幻覚剤と精神医学の最前線』(鈴木ファストアーベント理恵訳/草思社)は、ナットのこれまでの研究をまとめたものだ。原題は“Psychedelics:The revolutionary drugs that could change your life - a guide from the expert(サイケデリクス あなたの人生を変えるかもしれない革命的なドラッグ――専門家によるガイド)”。

 なお幻覚剤の再評価は日本でも進んでおり、慶応大学医学部でうつ病患者へのアジア初の臨床試験が始まったほか、この10月にはNHKBSで「サイケデリック・ルネサンス 精神医療の最前線」が放映された。

 ただし、幻覚剤によるうつ病治療については以前書いたので、ここではマインドワンダリングの「牢獄」から、幻覚剤がどのようにわたしたちを解放するかについて見てみよう。