オーナーシェフとして
「オテル・ドゥ・ミクニ」を開業
目を丸くして僕の顔を見つめる家主さんの表情には、拒絶の色は感じられず、どこかおもしろがっているようにも見えた。
「ここでレストランですか。ところで君は、志摩観光ホテルの高橋忠之シェフを知っていますか?」
ホテル眼下に広がる英虞湾のとれたての海の幸を用いたフランス料理で、独自の世界を切り拓いた高橋忠之シェフの名を知らない料理人はいなかった。聞けば家主さんは、毎年正月は家族で志摩観光ホテルに泊まり、高橋シェフの料理を食べるのを楽しみにしているという。
僕にとっての最大の幸運は、家主さんがフランス料理に興味をもっていたことだった。
僕は聞かれてもいないのに、三つ星店を渡り歩いて8年間修業を重ねたことや「ビストロ・サカナザ」で作ってきた新鮮な素材の持ち味を生かした料理の話をした。
1985年、開店したばかりの『オテル・ドゥ・ミクニ』の前で(筆者提供)
「ふーん、じゃ、君は、ここで高橋さんみたいな料理をやりたいわけですか?」
「いえ、あんな古くさい料理じゃありません。僕のは最先端のフランス料理です」
「君、おもしろいね」と家主さんは笑顔を見せた。そしてこう続けたのだ。「今日は遅いから、来週にでも詳しい話を聞かせてよ」と。
1週間後、再び家主さんに会いに行った。
「三國さん、あなたにお貸しすることにします。ただし8年の期間限定で。8年たったらなにも言わずに出ていってくれますか」
「はい、約束します」
こうして四ツ谷の地に「オテル・ドゥ・ミクニ」は誕生することになった。
『三國、燃え尽きるまで厨房に立つ』(三國清三、扶桑社)







