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船井電機が創業家による準自己破産申請により破産してから1年が経過した。同社では破産直前の2024年9月中旬以降、創業家に近い古参の取締役らと、同年9月下旬以降に関わるようになった新たな取締役候補者らとの間で、経営権を巡って暗闘が繰り広げられていた。当時の経緯について、最終的に経営権を取得し、破産直前に取締役に登記された経営コンサルタントの古寺誠一朗氏と、その弟で実業家の古寺真浄氏に話を聞いた。(聞き手/ダイヤモンド編集部副編集長 片田江康男)
旧経営陣と新経営陣が泥仕合
カオス状態に陥った背景とは?
2024年10月24日、船井電機は創業家の1人である船井秀彦氏によって準自己破産が申請され、即日破産開始決定を受けて破産した。
船井電機は、AV・家電機器メーカーの間で一目置かれる優良企業だった。最盛期だった04年3月期、連結売上高は3421億円、大手製造業で5%を超えれば優秀といわれる営業利益率は10.6%に達し、最終利益は263億円をたたき出していた。
ところが、07年3月期に37億円の最終赤字に転落すると、業績は悪化の一途をたどる。24年3月期まで、最終黒字を達成したのはわずかに4回。その間、創業者で精神的支柱であった船井哲良氏の逝去もあった。
転機は20年3月に訪れる。中堅出版社の秀和システムによる買収だ。同社を率いていたコンサルタント出身の上田智一氏が船井電機の社長に就任した。ところが上田氏は、AV・家電機器事業に次ぐ柱をつくろうと23年に脱毛サロンの「ミュゼ」を買収したものの、ミュゼの運転資金の貸し付けなどで、巨額の資金流出を招いてしまった。
資金繰りに窮するようになっていた24年7月ごろ、船井電機社長の上田氏は、船井電機自体を売却することを決断。そこで名乗りを上げたのが古寺誠一朗氏だった。古寺誠一朗氏は弟で実業家の古寺真浄氏を引き入れ、さらに同じく経営コンサルタントで、EFI株式ファンド代表の福井啓介氏と共に、船井電機の買収に乗り出した。
しかし、船井電機の譲渡は一筋縄ではいかなかった。24年9月以降、後に準自己破産を申請する船井秀彦氏と船井家に近い取締役、古寺兄弟、さらに古寺兄弟と袂を分かった福井氏ら3陣営が、経営権を奪い合う事態に発展。船井電機の経営権は、EFI株式ファンドが取得する前提で進められていたが、暗闘の末に古寺真浄氏がオーナーを務めるIT企業、利回市場が取得したとされる。
会社登記簿上、古寺兄弟は船井電機が破産する直前の9月27日に同社の取締役に就任。また同日、誠一朗氏は船井電機の親会社であるFUNAI GROUP(旧船井電機・ホールディングス)の代表取締役にも就任している。あくまで船井電機は再生が可能だと主張し、破産後には船井電機の事業を引き継ぐためにFUNAI GROUP新社を新たに立ち上げた。
船井電機は破産後も、経営権を奪い合った当事者たちはお互いにだまされたと主張し、告訴状が飛び交うカオス状態に陥っている。その状況を、当事者である古寺兄弟はどう見ているのか。経緯や今後の見通しについて、話を聞いた。
――船井電機に関わるきっかけを教えてください。
誠一朗氏 私の20年近い友人であるM&Aのフィナンシャルアドバイザー(FA)からの話がきっかけです。







