こちらへ入ってしまうと由緒ある建物が相次いで現れるので廃線どころではなくなってしまう。後ろ髪を引かれる思いで手宮線に戻った。もちろん学術調査などではないから、線路を歩かない区間が多少あっても構わないのだが。
ほどなく日本銀行旧小樽支店の重厚な建物の裏手を通る。現在は建物がそのまま金融資料館となっている。
かつての小樽は北海道商業の中心都市で、大正の中頃までは人口も札幌より多かった。
古く美しい建物たちは
観光施設としていまも現役
昭和11(1936)年に鉄道省が刊行した『日本案内記』内の小樽市街図によれば、色内駅付近には日銀の他に北海道銀行、拓殖銀行、三井銀行、三菱銀行などの支店や汽船会社、英国領事館などが密集している。
そういえば以前は札幌の出版社へ送金する場合でも、郵便振替口座は「小樽○号……」と記入したものだ。
色内駅はこのあたりにあったはずだが、今はモニュメント的な四阿が建つのみである。戦前の市街地図では交差点の南側に描いてあるが、この四阿は北側。どちらが正しいのかは不明だが、時代によって場所を少し移動することは珍しいことではない。
色内付近の廃線。同書より転載
関東でいえば大谷石に相当する軟石(凝灰岩)の倉庫が町のあちこちで目につく。いかにも商業都市の歴史を感じさせる建物であるが、今では喫茶店や土産物店などに変身しているものも少なくない。観光都市ならではの転身であろう。
軟石を用いた旧倉庫。取材時は、社交ダンス場として使われていた(同書より転載)。







