精緻な顧客分析をしている企業ほど見落としがちな、顧客が心を動かされる理由とはjessie / PIXTA

ブランドとCX(顧客体験)を一体で動かすには、主語を企業から顧客の感情の記憶に移す必要がある。前回はそう論じた。では、私たちはその感情の記憶を本当に理解できているのか。多くの企業は、さまざまな調査や分析を通じて顧客を理解していると考えている。しかし、感情の記憶を構造的に捉えると、これまで顧客理解の手法とされてきたものだけでは足りないものが見えてくる。

顧客を本当に理解できているか

 ある企業の担当者との打ち合わせで、私はこう尋ねました。

 「御社の顧客は、どんな自分になりたいのでしょうか」

 担当者はしばらく黙り込みました。結局、この問いには答えがありませんでした。

 私たちは顧客を理解しようとしている。多くの企業がそう考えています。NPS(Net Promoter Score)もアンケートもジャーニーマップも、既に取り組んでいるからです。しかし、本当にそうでしょうか。

 問い直したいのは、何のための顧客理解か、ということです。ブランドとCXを一つのものとして動かすとは、顧客の感情の記憶に働き掛けることでした。だとすれば、必要なのは感情の記憶そのものを深く理解することです。そしてその記憶には構造があります。

感情の記憶を形成する三つの層

 結論から言います。感情の記憶は単層構造ではありません。三つの層から成ります(注1)。

 情動の層は、感情の記憶の最も表層にあります。体験の瞬間に生まれる、言葉になる前の反応です。店に入ったときの空気を心地よく感じる。電話口の声のトーンに安心する。商品に触れた瞬間に違和感を覚える――。顧客は意識する前に反応し、その感覚を情動の層に刻んでいます。

 意味の層は、体験を解釈する層です。情動が統合され、体験の枠組みを記憶に刻みます。同じホテルの静かな空間が、ある人には「最高のくつろぎ」になり、別の人には「退屈で孤独な時間」になる。その差は情動の層ではなく、意味の層で生まれます。意味の層に届くブランドは、顧客が求めている体験に寄り添っています。「あのブランドとの体験にはこういう意味がある」という結び付きが関係性の深さになります。

 人格の層は、三つの層の中で最も深いところにあります。「このブランドと関わり続けることで、自分はどんな人間になっていくか」という、顧客のアイデンティティの形成に関わる層です。ここまで届いたとき、顧客とブランドの関係は単なる取引を超えます。あるスポーツブランドを選び続ける人は、シューズを買っているのではなく、「挑戦し続ける自分」を育てています。あるノートパソコンを使い続ける人は、デバイスを使っているのではなく、「創造的な自分」を育てています。顧客はブランドを通じて、なりたい自分を少しずつ形作っています。

注1
本稿の3層モデルは、複数の研究知見を統合した筆者独自の枠組みである。情動の層は、ザルトマンが論じた無意識下での感情処理(第1回注1)に対応する。ダマシオの身体マーカー(ソマティック・マーカー)仮説(Damasio, A.  "Descartes' Error", 1994)が示すように、情動は意味の解釈と意思決定に先行しており、3層は独立して存在するのではなく連続している。意味の層は、ベルガンティが『突破するデザイン』(2017)で人はモノや体験の意味を解釈して選ぶと論じた「意味のイノベーション」に対応する。人格の層は、EscalasとBettmanの「セルフ・ブランド・コネクション」(第1回注2)に対応し、ブランドとの体験を通じて顧客が自己概念を形成していく過程を指している。