デブラ・ソーは華僑をルーツにもつマレーシア系カナダ人の性科学者で、トロントの大学でパラフィリア(性的倒錯)を研究して博士号を取得した。

 2010年代の北米では「わずか3歳の子どもが性別移行する物語を褒め称えるような記事」が際限なく流れており、それに危機感を抱いたソーは、幼児期の性別移行を批判し、親や医師に対して「子どもが認知的成熟に達するまで」待つよう助言する論説を寄稿した。

 当時、このような記事を書くことはアカデミズムの世界からの追放を意味したので、ソーは学者として終身在職権(テニュア)を取得するまで待つべきかを同僚たちに尋ねた。それに対して指導教員の一人から、「終身在職権があっても守ってもらえないぞ」といわれたことで覚悟が決まったという。

『ジェンダーの終焉 性とアイデンティティに関する神話を暴く』(森田成也訳/北新宿出版)は、アカデミズムの世界からジャーナリストに転じたソーが、性とジェンダーについての非科学的な主張が社会を混乱させていると論じている。

 トランスジェンダーは生物学的な性と本人の性自認(ジェンダー・アイデンティティ)が異なることで、とりわけ英語圏できわめてセンシティブな問題になった。「政治的に正しい」言説を不用意に批判すると、たちまち炎上してキャンセルされ、学者や知識人としての社会的生命を絶たれてしまうのだ。

【参考記事】
●「話題の書『トランスジェンダーになりたい少女たち』を読んで考えたこと」

 ソーの政治的立場はきわめてリベラルで、同性愛者やトランスジェンダーの自己決定権を強く擁護している。だったらどこで立場が分かれるかというと、トランス活動家らが「性別違和を感じている子どもにも性別移行の積極的な治療が行なわれるべきだ(そうでなければ子どもが自殺してしまう)」という強力な政治的キャンペーンを行なっていることだ。ソーは性科学者として、これを真っ向から批判している。

トランスジェンダーの問題点とは?性とジェンダーについての「不都合な真実」を暴くPhoto/Benzoix / PIXTA(ピクスタ)

「生物学的な性別はオス(male)とメス(female)のどちらかしかない」

 本書の主張を紹介する前に、翻訳者の森田成也氏も指摘している「性自認」という日本語の問題について触れておきたい。これは“gender identity”の訳語として広く使われている(法律用語としては「性同一性」)が、トランスジェンダー問題について論じるときに大前提が「性(sex)」と「ジェンダー(gender)」のちがいなのだから、英語の“gender”を「性」と訳すのはいたずらに議論を混乱させるように思える。

 2023年6月に岸田政権下で成立したLGBT理解増進法のように、カタカナで「ジェンダー・アイデンティティ」とするのがもっともシンプルだが、できるだけ読みやすい本にしたいという出版社側の意向にもとづいて「性自認」という訳語を用いることにしたという。

 一般的には、「性(sex)」は生物学的な性差で、「ジェンダー(gender)」は社会的・文化的につくられた性差(社会的構築物)だとされる。だがソーは本書で、「ジェンダーも生物学的に決まっている」というかなり論争的な主張をしている。それに対して一部のフェミニストやトランス活動家は、ジェンダーだけでなく生物学的な性も流動的なスペクトラムだとして、「男」と「女」の性的な二型を否定する。両者の隔たりはとてつもなく大きいので、まずはそれを見てみよう。

 生物学的な性別はオス(male)とメス(female)のどちらかしかないとソーはいう。これはべつに論争になるようなことではなく、生物学が性別を、成熟した生殖細胞である配偶子によって定義しているからだ。

 配偶子には、オスが形成する精子という小さな配偶子と、メスが形成する卵子という大きな配偶子の2種類しかない。精子と卵子の中間の配偶子は存在しないのだから、両性生殖の生きものの性別は必然的に(スペクトラムではなく)二次元(バイナリ)になる。

 このシンプルな定義を人間以外の生きもの(昆虫や爬虫類から哺乳類まで)の性別にあてはめても、ほとんどのひとはなんの違和感ももたないだろう。ところが同じ定義を男性(male)と女性(female)に使うと、突然大問題になる。

「性別がバイナリならインターセックスはどうなのか」と思うかもしれない。インターセックスは性分化疾患(DSD)とも呼ばれ、性染色体(XXかXYか)と生殖器や外性器の解剖学的特徴が合致しない。――たとえばアンドロゲン不応症(AIS)では、XY染色体と男性の内性器をもっているが、身体がテストステロンに反応しないため、外見上は女性として発達する。

 しかしこの場合でも、2種類の配偶子のうち1つが形成されるため、性別が配偶子によって決まるという定義は変わらない。2万人の1人の割合で、卵巣と精巣の両方の組織をもって生まれる卵精巣という疾患が発生するが、ほとんどの場合、機能するのは一方の組織のみだという。

 生物学では、統計的にまれなケースがあったとしても、それを典型例として定義を変えることはない。このことをソーは、指の数が10本より多いひとも少ないひともいるが、だからとって「指は10本」という定義が変わらないのと同じだと説明する。

 これは政治的イデオロギーの問題ではなく生物学の定義の話なので、生物学者はもちろん、それ以外の多くのひとも同意できるのではないか。だが、ソーのもうひとつの主張である「ジェンダーも生物学的に決まっている」については、異論はもっと多そうだ。