「80、90、100で本物になる」――葛飾北斎が晩年にたどり着いた“伸び続ける境地”に、数学者・秋山 仁は深く共鳴した。年齢を言い訳にしないことはもちろん、若い人の輪に身を置き、刺激を受け続ける姿勢が欠かせないという。分野を変えて挑み直し、若い研究者と交わり続けてきた秋山の歩みから、老いを成長期へと変えるヒントが見えてくる。※本稿は、数学者の秋山 仁『数学者に「終活」という解はない』(講談社)の一部を抜粋・編集したものです。
ファッションデザイナー・山本寛斎の
世界で評価される考え方
世の人は我を何とも言わば言え。我がなすことは我のみぞ知る 坂本龍馬(幕末の土佐藩士)
秋山仁(筆者) Photo:著者提供
60を迎える前に出会って強烈な印象を抱いた人に、ファッションデザイナーの山本寛斎さんがいる。富山国際会議場の落成記念の講演会で行われた、若い人々に向けたパネル・ディスカッションでご一緒させていただいた。一期一会の縁だったが、“人々を元気にし、明るく躍動的な世界を作りたい”という寛斎さんの純粋で壮大な思いが伝わってきて強いインパクトを受けた。当時、寛斎さんは新作のファッションのデザインよりも、ファッションと音楽と舞台芸術を融合させたパフォーマンス・アートのプロデュースに力を入れ、モスクワの赤の広場、ニューデリーのネール・スタジアム等でショーを開催していた。
寛斎さんは、このディスカッションの中で、自身の若い頃からの経験を踏まえて“日本の常識や評価を、世界の常識や評価だと思うな”という主旨のメッセージを述べていた。具体的には、「世界に出て行って評価された日本人って、(日本では)変な人(と言われるような人)だと思いますよ。むしろ正常な人ではダメ。なぜなら、世界クラスは、突き抜けた意識の人たちばかりだから」







