小さい弟2人と写る7~8歳ぐらいの年長のお兄ちゃん(寛斎少年)は、弟たちに対して、
「大丈夫。自分たちは今、心細く辛くて寂しい状況にあるけれど、不安がることはない。ちゃんと幸せでいられるよ、幸せになれるよ。そのためにも、寂しさや辛い気持ちに負けずに、それらを吹き飛ばしてしまおう。暗い顔をしていないで、空高く輝く太陽に負けないくらい、明るく笑っていよう」
そんな強い意志を示すかの如く、1人だけスカッと明るい笑顔で写っていた。胸を強く打つ笑顔だった。寛斎さんの人を鼓舞する強い明るさの原点を見た思いがした。
悲しいことに、辛い経験をしたり、苦労した人が必ずしも寛斎さんのように強く優しく善良な人になるとは限らない。苦労したり辛い中で、心が挫けて、世の中や他人に不信感や恨みを抱いてしまう人も少なくないからだ。
それに対して、寛斎さんは、悲しみや苦労の中でも、純粋な気持ちを忘れずに“悲しみに負けないエネルギーを持って生きよう”と真っ直ぐ太陽に目を向けて生きてきた人なのだと思った。それが、あの明るく力強く澄んだエネルギーの源なのだろうと。苦しみや悲しみを喜びや幸せに変えられるのは、その人の心の持ちようだ。
鳴かず飛ばず若い頃だったが
歳をとるに連れ結果が出せた理由
50歳ごろから数々の作品を発表してきたとはいうものの、思えば70歳以前に描いたものはみな取るに足らないものだった。80歳で益々腕に磨きをかけ、90歳になればもっと奥義を極め、百歳で神明の域を超えるのではないだろうか(70代で発表した「富嶽三十六景」の跋文より) 葛飾北斎(江戸時代末期の浮世絵師)
他の自然科学の分野ではどうなのかわからないが、数学の分野では、一般に、「20~40代 の若い時に質の高い研究をし、50代からは研究のペースが落ち、指導者や教育者として後進の育成に務めるようになる」と言われていた。
だが、そもそも私は、若い頃、数学の才能と言われるようなものを発揮したことがなかった。だから、年齢とともに数学の能力が衰えることなどあり得なかった。
私の場合、50になってグラフ理論から離散幾何学に研究分野を変えた。50代までは、さほど大したことのない定理を量産していたが、60代になって、やっと国内外の研究者達から注目される定理が少しずつだが作れるようになった。







