
日本企業は、なぜ世界で「選ばれなくなった」のか。その答えは、技術でも価格でもなく、「デザイン観」の欠如にある――。2021年に日本インダストリアルデザイン協会(JIDA)理事長に史上最年少の40歳で就任し、団体再編やコミュニティーの再活性化などの改革を進めた太刀川英輔氏はそう語る。その背景には、日本のデザイン政策の立ち遅れや、企業経営におけるデザインの重要性への無理解という現実があった。日本のデザイン政策や経営者に求められるデザイン観とは何か。今、日本を強くするデザインの在り方を問い直す。(聞き手/音なぎ省一郎、撮影/まくらあさみ)
「かっこいいJIDA」
属することで意義や誇りを持てるコミュニティーとは
――2021年から25年まで、JIDAの理事長としての4年間を振り返っていかがですか。
太刀川 変革期に巡り合わせたことは確かですね。JIDAは1952年に創立された歴史あるデザイン団体で、2022年に創立70周年を迎えました。その前年に名称を「日本インダストリアルデザイナー協会」から「日本インダストリアルデザイン協会」に変え、「領域にとらわれず、デザインを社会に開いていこう」という意志を表明しています。
――変革期の理事長として、どんなことに力を入れましたか。
太刀川 「かっこいいJIDA」と言えば聞こえは軽いですが、実際に目指していたのは、会員一人一人が、ここに属していることに意義と誇りを持てるメンバーシップをつくることでした。そうすれば新しい会員も増えていくし、コミュニケーションも活性化する。歴史ある団体なので、若いデザイナーから見れば「おじさんっぽい」かもしれないし、団体に属さず一匹おおかみでいたい人もいるでしょう。でも、切磋琢磨すればフィールドが広がるし、チャンスも増える。海外でもデザイナーのコミュニティーに活気のある国ほどデザインが元気です。
会員の多様性を高めるために入会資格を見直したり、企業内で活躍するインハウスデザイナーが参加しやすいように定款を改訂したりもしました。プロダクトデザインの検定事業も「JIDAデザイン検定(旧:PD検定)」へとリブランディングして、参加者の動機を広く取り込める形にしました。
――外部団体との連携も活発になっていますよね。
太刀川 そこは非常に力を入れました。タイミングが良かったのは、21年に旧D-8(日本デザイン団体協議会)の幹事団体がJIDAに回ってきたことです。D-8は国内の主要デザイン団体の代表が集まる会議体です。JIDAの理事長とD-8の幹事団体理事長を兼任できたことで、縦割りのデザイン団体間のコミュニケーションを増やすことができました。
それまでは年2回、しかも会計報告中心だった会議を年6回に増やし、外部も招いた議論の場へと転換しました。ジャパン デザイン サミットという大きな会議体を発足させて、名称もD-8からDOO(JAPAN DESIGN ORGANIZATIONS AS ONE)に改め、合同イベントもスタートさせています。
また、23年に「WDO世界デザイン会議」が東京で開かれたときは、僕も実行委員としてその招致活動に加わりました。そのご縁でWDO(世界デザイン機構)の理事にも就任し、海外のデザイン団体と連携する機会も増えています。
――デザインのさまざまな領域を融合させていく取り組みですね。
太刀川 デザインでイノベーションを生み出すためにも、領域の融合は大事です。僕は理事長になるずっと前に「ビジョンコミッティ」という委員会のメンバーだったとき、JIDAの名称を「日本イノベーションデザイン協会」にしましょう、と提案したこともありました。
というのも、日本のデザインには、それを支えるだけの実力が既にあるからです。実際、日本のインダストリアルデザインは海外での評価が高い。先日もレッド・ドット・デザイン・アワード(世界三大デザイン賞の一つ)を創設したピーター・ゼックさんに「一番たくさん賞を取っている国が日本だ」と言われました。多くが日本企業のデザインです。
――25年6月に村田智明さんが理事長に就任されました。
太刀川 村田さんは日本を代表するインダストリアルデザイナーですし、戦略的で視野も広い。個人的には以前から「ぜひ次の理事長をやってほしい」と考えていて、お誘いして理事になっていただいた経緯もありました。
タイミング的にも、僕がWDOの理事になって海外の活動が増えていた。国内企業と接点の多い村田さんにバトンを渡したことで、海外・国内の連携を両輪で進められる体制になりました。デザイン団体の運営って基本的に手弁当なので、いかに「稼げる組織」にするかも大きな課題です。村田理事長のリーダーシップでこうした動きも加速しています。







