デザインに無理解な政治と行政が
日本の産業を弱くする

――海外では、日本のデザインのどこが評価されているのでしょうか。
太刀川 ユーザー視点で物事を見る解像度が高いことだと思います。ディテールが細かく、かゆいところに手が届く。日本文化に共通する「基準値の高さ」が、世界のデザインカルチャーに影響を与えています。
JIDAは52年に柳宗理、剣持勇、渡辺力など、世界的なデザイナーたちが創立したアジア最古のデザイン団体です。近年、アジア各国のデザインの進化には目を見張るものがありますが、この源流にも日本のデザインがあるのです。
――アジア各国はデザイン政策でも攻めていますよね。
太刀川 かっこいいものは売れるし、魅力的なサービスにはファンが付く。デザインはものづくり経済の本質であることを理解しているからこそでしょう。フィリピンの「デザインセンター」、タイの「クリエイティブ・エコノミー・エージェンシー(CEA)」、台湾の「デザイン研究院(TDRI)」、韓国の「デザイン振興院(KIDP)」……と、公的で大規模なデザインの政府団体も続々と生まれています。
特に台湾のデザイン研究院は、デザイナー集団ではなく、政治主導で設計された研究機関です。先日(25年12月2〜5日)、台湾で<IASDR 2025>という国際デザイン学会が開催されていますが、これもデザイン研究院のロビイングのたまものでしょう。
この流れに日本だけが取り残されています。公的なデザイン振興拠点がないばかりか、デザイン政策の予算規模も諸外国に比べて100分の1近く、びっくりするぐらい少ない。GDP比にすればギャップはさらに拡大します。日本は製造コストで勝負できる国ではない。ジャパンブランド、ジャパンクオリティーで勝負するしかない。それなのにデザインが軽視されているのです。
――なぜでしょうか。
太刀川 基本的には政治・行政の無理解だと思います。しかし、かつてはそうではなかった。
例えば、53年に、インダストリアルデザインの父とも呼ばれるレイモンド・ローウィの自伝的著作『口紅から機関車まで』が日本で出版されています。注目すべきは、翻訳者が経済界の重鎮であり、後に外務大臣になる藤山愛一郎であることです。一国の代表として政治と経済に影響力を持つ人物が、ここまでデザインに注目していたのです。
そして、少なくとも90年代初頭までは骨太なデザイン政策も存在していました。70年代までJETRO(日本貿易振興機構)には「ジャパン・デザイン・ハウス」というデザイン振興組織があったし、国際的なデザイン会議も日本で開催されていた。
しかし、バブル崩壊後に全てが民間任せになり、政策からデザインの文字が消えてしまいました。デザイン政策の後退と日本経済の失速は、時期が完全に一致しています。因果関係はともかく、明らかな相関関係があるのは確かです。
――日本では、経済産業省の「デザイン政策室」がデザイン政策を担っていますが……。
太刀川 経産省がズレているのは、デザインをアニメやコンテンツと並ぶ「文化産業」の文脈に位置付けていることです。本来、デザインはスタートアップ政策やものづくり政策に近いもののはずです。
もちろん、デザインにも文化産業としての側面はあります。しかし、デザインを価値に変えるルートはそこだけじゃない。米国シリコンバレーで生まれたテック企業の多くがデザインで莫大な利益を上げてきたことを見ても明らかです。しかし、日本ではほとんどの企業にデザイン担当役員すらいない。日本デザインは国際的に評価されているのに、産業における重要度が相対的に低いのです。
――どのように現状を打開できるでしょうか。
太刀川 僕自身、国の会議でも常にデザインを経済政策に接続する重要性を主張してきましたが、やはりデザインサイドの声がまだ十分に届いていない。これからはJIDAやDOOも一致団結し、日本のプロフェッショナルデザイナーの総意を届ける役割を担っていきたいと思います。







