検察側の「人命軽視も甚だしい」に対し
弁護側は「経験を社会貢献に」と主張
第13回(12月3日)では「教団に一矢報いる。打撃を与えるのが自分の人生の意味だと思った」と強調。「標的はあくまで教団。元首相は本筋ではなかった」と述べ、コロナ禍がなければ攻撃の対象ではなかったと説明した。
第14回(12月4日)は被告人質問で「元首相のご家族には何の恨みもありません。非常に申し訳ないと思っています」と謝罪。さらに標的は教団幹部だったとし「(事件は)間違いだった」と述べた。
第15回(12月18日)は検察側が論告で「生い立ちに不遇な点があったことは否定しない」とした上で、元首相を襲撃対象とした理由について「最後まで納得できる説明はなく、論理的に飛躍がある」「動機は短絡的で人命軽視は甚だしい」などと指摘し、無期懲役を求刑した。
一方、弁護側は最終弁論で「1人の生命を奪い、有罪判決を受けて服役することはやむを得ないが、社会復帰の可能性を与えるべきだ」「動機の出発点は家族の崩壊。経済的に破綻し、将来を失った者の絶望の果ての犯行だった」と擁護し、宗教被害に苦しんだ経験を生かし社会貢献する機会を求めた。
判決は15~20年の有期刑か
無期懲役が現実的ではない理由
それでは、判決はどうなるのだろうか。
SNSなどでは、熱烈な元首相の支持者とみられる人たちの「なぜ検察側は死刑を求刑しないのか」「極刑にすべきだ」などの投稿も目にしたが、長く全国紙社会部記者などとして事件や裁判を取材してきた立場からすれば、弁護側が求めた有期刑、それも15~20年が妥当と見る。
公判を通して分かるのは、事件が政治的な思想・信条から首相経験者を狙った訳ではなく、家庭や人生を崩壊させられた青年が恨みを募らせた教団に対する復讐が動機であり、コロナ禍で対象がすり替わってしまった「筋違い殺人」であることは明らかだ。
国家転覆や民主主義への攻撃を企図した「テロ」であれば、死刑求刑(から無期懲役の判決)はあり得るかもしれない。しかし今回は、被害者が「支持率が高く長期政権を担った元首相」ではあるものの、審理すべきは「被害者が1人の殺人事件」に過ぎない。
日本国憲法14条1項は「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」とある。この記事の読者であれば「量刑の相場観」という概念はご存じと思う。
このケースで無期懲役となれば、過去の判例に比較して「元首相」「その他」の人命に「重さ・軽さ」を認めてしまうことになり、「法の下の平等」に反しているとの批判も出てくるだろう。
注目の判決は、21日午後1時半に言い渡される。







