近年有力とされる「同父兄弟説」

 では、どの説が正しいのでしょうか。正直なところ、決定的な答えは出ておらず、研究者の間でも意見は分かれています。

 ただし近年では、秀吉と秀長は異父兄弟ではなく、父親は同一人物だったのではないか、という説が注目されています。その理由の一つが、秀吉の生前に「秀長は異父弟である」という記述が一切見られない点です。もし秀長が異父弟ならば、何らかの形で、同時代の史料に痕跡が残っていても、不思議はないはずです。さらに、秀吉が秀長に寄せた深い信頼も、実の弟だからこそではないか、などと考えられます。

 また、「筑阿弥」という名が僧侶風であることや、『太閤記』でも「入道」と表現されていることから、木下弥右衛門が出家して名を変えただけで、同一人物なのではないかと考えられるようになったのです。

 名前が異なるからといって、必ずしも別人と断定する必要はない、というわけです。

父は織田家に仕えた足軽だった?

 秀吉と秀長の父を同一人物と考えた場合、次に問題となるのが、二人の父親は「どの武将に仕えていたのか」という点です。

『太閤記』では織田達勝(みちかつ)に仕えたとされ、『太閤素性記』では織田信長の父・信秀に仕えた鉄砲足軽だったとされています。

 ただ鉄砲は、この時代にはまだ伝来していないのと、秀吉・秀長の出生地を中村(現在の名古屋市中村区)とすると、そこから信秀の居城が遠すぎることなどから、『太閤素性記』の記述よりも、『太閤記』の方が信憑性が高いと思われ、二人の父は、織田達勝に属していた可能性が高いと考えられます。

 いずれにしても、秀吉と秀長の父は、織田家の足軽として働いていたものの、負傷や出家などを理由に奉公を離れ、天文12年(1543)に亡くなったようです。その結果、秀吉・秀長の家の生計は苦しくなり、長男の秀吉は早くに家を飛び出して、やがて、織田信長に仕える道へと進んでいったのでしょう。

NHK『豊臣兄弟!』第一話より(C)NHKNHK『豊臣兄弟!』第一話より (C)NHK