量子コンピュータが私たちの未来を変える日は実はすぐそこまで来ている。
そんな今だからこそ、量子コンピュータについて知ることには大きな意味がある。単なる専門技術ではなく、これからの世界を理解し、自らの立場でどう関わるかを考えるための「新しい教養」だ。
『教養としての量子コンピュータ』では、最前線で研究を牽引する大阪大学教授の藤井啓祐氏が、物理学、情報科学、ビジネスの視点から、量子コンピュータをわかりやすく、かつ面白く伝えている。今回は量子力学100周年についてお届けする。
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量子力学はまだまだこれから大盛り上がり
昨年、2025年は「国際量子科学技術年」として、ハイゼンベルグによる量子力学誕生100周年を祝う特別な一年だった。
ニュースやイベントを通じて、「量子」という言葉を耳にした人も多いだろう。
しかし、量子力学の100周年は、2025年では終わらない。
むしろ、2025年からの10年は量子力学にとって奇跡の10年といっていいだろう。
ここからずっと100周年!
2026年はシュレーディンガー方程式の100周年。
電子は粒なのか波なのか、という疑問に対し、「波のように振る舞う確率の存在」として記述したこの方程式は、量子力学を一気に直感的にした。
2027年は、量子力学の世界観が定まった第5回ソルベイ会議から100年。
世界最高峰の物理学者の集まり、1927年の第5回ソルベイ会議で、量子力学が誕生した直後、その解釈をめぐって当時の第一人者(17人がノーベル賞を受賞)たちが一堂に会した。
特に、アインシュタインとボーアが、量子力学は不完全か、それとも自然の本質かをめぐって真っ向から対立した。
2028年はディラック方程式の100周年。
量子力学と相対論を結びつけたこの式は、意図せず反対の性質を持った粒子、反物質の存在まで予言した。
その後、1932年に電子の反物質である陽電子が実験的に見つかる。
数式による理論が現実を先取りする、科学のもっとも美しい瞬間の一つである。
2029年は、ディラック方程式から、光と電子の散乱実験を説明するための公式、クライン・仁科の公式から100周年。
抽象的な数式が、実験データと結びついたことで、量子論は実験的に直接検証できる現実の科学になった。
仁科芳雄は、量子力学黎明期に欧州最前線で研究を行った、日本の量子力学の父。
2030年は、ディラックの教科書によって量子力学が「演算子」という共通言語で整理されてから100年。
量子力学が、誰もが学べる体系になった節目だ。この整理によって、行列力学や波動力学といった異なる定式化は同一の理論として統一され、量子力学は個々の天才の直感に依らず、教育と継承が可能な“現代科学の基盤”へと変化を遂げた。
2031年は、日本にとって特別な年である。
仁科芳雄が京都大学にて量子力学を集中講義し、湯川秀樹や朝永振一郎をこの世界へ導いた瞬間から100年。
仁科は、欧州で目の当たりにした自由闊達な議論の文化や、理論と実験を往復する研究スタイルを日本に伝え、日本における次世代の量子力学の研究はここから本格的に始まり、ノーベル賞へと繋がった。
2032年は、フォン・ノイマンによる数学的基礎の確立から100年。
量子力学における状態や物理量、そして測定という概念を、あいまいな物理的直感によった理論ではなく、厳密な数学を用いて定式化。
後の測定理論や量子情報理論の基礎に。
2033年には、シュレーディンガーとディラックがノーベル賞を受賞し、量子力学が完成した理論として世界に認められて100年。
それまで「奇妙で難解な新理論」だった量子力学が、自然を正しく記述する確かな科学として公式にお墨付きを得た。
2034年は、湯川秀樹が中間子論の着想を得た年から100年(論文発表は1935年)。
目に見えない力の正体を仮想的な粒子のやり取りで説明するという発想は、その後の粒子物理学の基本的な考え方となり、素粒子物理の扉が開かれた。論文発表は、
そして2035年はEPR論文から100年。
遠く離れた2つの粒子がどのように測定をしても全く同じ測定結果が得られるという「量子もつれ」を取り上げ「量子力学は完全ではない」とアインシュタイン、ポドルスキー、ローゼンらが量子力学に疑問を投げかけた。
量子もつれ、は量子情報の資源として、後に量子通信や量子コンピュータという新しい世界を切り拓いた。
量子コンピュータは積み重ねの上にある
量子コンピュータとは、突然現れた未来技術ではない。
100年にわたる思索と議論、失敗と発見の積み重ねの延長線上にある。
量子コンピュータが完成するまで、私たちは毎年のように量子力学の決定的瞬間の100周年を楽しむことができる。
(本稿は『教養としての量子コンピュータ』の著者が特別に書き下ろしたものです。)





