朝ドラが描く「知識をつないだ人々」の存在
「ここまで自分の力だけでやってきたけん、だけん、誰の力も借りたくないんです。すんません。ありがたいんですけど」
すっかり拗らせてしまっているサワに、庄田は、
「でも力を借りるんじゃなくて、わしの力を利用するぐらいのつもりで教わったらどう? あまり役に立たないかもしれないけど」
と提案する。なんていい人なんだーハンブンジャク。こんないい人、なかなかいないだろう。
ほぼ初対面の相手に仏頂面をされても、親切心で手を差し伸べる庄田。これは錦織(吉沢亮)とも似ている。校長という権威よりヘブンのリテラリー・アシスタントをやりたいと考える錦織。自分よりも勉学が大事なのだ。
庄田も、教師になりたいサワを手助けすることでより良い教育の機会を作っていこうと考えているのだろう。頭がいいから、サワが意地を張っていることに気づいている。借りを作るのがいやなら、違う角度で前向きに考えてオトクなほうを選ぼうと提案しているのだろう。頭がほんとうにいい人は違うなあ。
小泉八雲をモチーフにしながら、あんまり文学や民俗学の話にならない『ばけばけ』だけれど、明治の時代に国をよくしようと懸命に勉強していた人たちの精神性を捉えている。これはとても大事な部分だと思う。
この精神性を感じる朝ドラには、やはり明治時代からはじまった『あさが来た』(2015年度後期)がある。ヒロインあさ(波留)は五代友厚(ディーン・フジオカ)から学んだ「ファーストペンギン」という考え方を大切にして生きる。後進の者たちのために道を切り開くという使命感だ。昔の人たちがこうして頑張って知識をつないでくれたから、いまの我々は存在しているのだ。
さて。こうしてサワは庄田に勉強を教えてもらって、遅く帰宅する。
トキのことが気になっている。
トキもサワを気にして手紙を書こうとするが、うまく書けない。
そこでヘブンがまた助け舟を……。
女性の繊細な心情を男性ばかりのスタッフで描くのは、なかなか難しいのではないかと思ったが、『ばけばけ』では男性陣が、女性にやさしい。それが作り手の心情なのかもしれない。
制作統括の橋爪國臣チーフプロデューサーは、なみが身請けされる展開にしたことに関して、取材会でこのように話していた。
「なみの物語に我々が最後まで寄り添えれば、例えば、絶望を描いても意味はあるかと思いますが、絶望させる責任まで取れない。それはさとうほなみさんの芝居を見ていて感じました」
そして、考えたのが、いい人に身請けされて川の向こうに出ていける展開だった。
「これまでなみには何年も身請けの話が来なかったのだと思うんですよね。そうしているうちに30歳を超えてしまった。当時は30歳で独り身というのは、いまの時代とは認識がだいぶ違います。それでも生き続ければ、何か希望があるのかもしれない。そういうものがなみを通して見えればと思いました」
しんどいことばかりの人生だけれど、物語のなかに生きる女性たちにせめて希望を、という思いやりを感じるドラマである。









