三国志の英雄に学ぶ組織論の決定版
悩んだら歴史に相談せよ】好評を博した『リーダーは日本史に学べ』(ダイヤモンド社)の著者で、歴史に精通した経営コンサルタントが、今度は舞台を世界へと広げた。リーダーは世界史に学べ(ダイヤモンド社)では、チャーチル、ナポレオン、ガンディー、孔明、ダ・ヴィンチなど、世界史に名を刻む35人の言葉を手がかりに、現代のビジネスリーダーが身につけるべき「決断力」「洞察力」「育成力」「人間力」「健康力」と5つの力を磨く方法を解説。監修は、世界史研究の第一人者である東京大学・羽田 正名誉教授。最新の「グローバル・ヒストリー」の視点を踏まえ、従来の枠にとらわれないリーダー像を提示する。どのエピソードも数分で読める構成ながら、「正論が通じない相手への対応法」「部下の才能を見抜き、育てる術」「孤立したときに持つべき覚悟」など、現場で直面する課題に直結する解決策が満載。まるで歴史上の偉人たちが直接語りかけてくるかのような実用性と説得力にあふれた“リーダーのための知恵の宝庫”だ。

【三国志】なぜ「数字」を追う組織には人が集まらないのか? 諸葛孔明に学ぶ一流リーダーの「目的」の立て方Photo: Adobe Stock

「目的」と「目標」の本質とは?

諸葛孔明181~234年)は、の軍師であり政治家である。本名は諸葛亮であり、孔明は字(あざな)。後漢王朝(25~220年)の末期に生まれた。若くして「晴耕雨読」(晴れた日には耕作し、雨の日には読書する)の生活を送っていたが、後漢末期の混乱のなかで台頭してきた劉備から三度の訪問を受けたことで、その軍師となる(いわゆる「三顧の礼」)。当時中国北部を支配し実権を握っていた曹操の南下に対抗するため、揚子江以南を支配していた孫権と同盟を結び、赤壁の戦いで曹操軍を破るという大功を上げた。その後、「天下三分の計」を進め、曹操、孫権、劉備の3勢力で中国を分割する構想を実現させる。劉備は蜀を建国し皇帝に即位するが、223年に死去。その後、諸葛孔明はその息子である劉禅に仕えた。魏(曹操の息子、曹丕が建国)の打倒を目指し北伐を行うが、志半ばの234年、五丈原で病没諸葛孔明は参謀の理想像として、現代に至るまで高い人気を誇る人物である。

時代を超えて愛される『三国志』と諸葛孔明

日本でも小説、漫画、映画、ゲームなど多岐にわたるメディアで親しまれ、根強い人気を誇る『三国志』。これは中国の後漢末期(25~220年)の動乱を経て、魏・呉・蜀の三国が興亡を繰り広げた壮大な物語です。

曹操、孫権、劉備、関羽、張飛など数多の英雄が登場するなかでも、常に人気ランキングの上位に名を連ねるのが、蜀の天才軍師・諸葛孔明です。

孔明は現在の山東省の出身ですが、後に蜀を建国する劉備の熱意ある勧誘(三顧の礼)に応え、その軍師となりました。ここでは、稀代の天才・孔明が仕えることを決めた主君、劉備という人物に焦点を当ててみましょう。

乱世に立ち上がった劉備の「大義」

劉備は、漢の高祖・劉邦と同じ「劉」の姓を持つことから、漢王族の末裔といわれています。しかし、それはあくまで「遠い親戚」に過ぎず、実際にはむしろ恵まれない環境で育った市井の人でした。

政治の腐敗により「黄巾の乱」が勃発し、国が荒廃していくなか、劉備は漢王族の血を引く者としての誇りを胸に立ち上がります。「漢王朝を再興し、かつての栄光と平安を取り戻す」――この大義を掲げ、義兄弟の契りを交わした関羽、張飛とともに挙兵したのです。

苦難の連続と「髀肉の嘆(ひにくのたん)」

とはいえ、強力な地盤も資金もない劉備が勢力を拡大するのは容易なことではありませんでした。敗戦と撤退を繰り返し、ついには荊州(現在の湖北省)へと亡命する不遇の時代を過ごします。

ある時、戦に出る機会がなくなり太ももに贅肉がついた自分を見て、劉備はこう嘆いたといいます。

「年齢を重ねるばかりで、何ら功績を残せていないのが悔しい」

これが有名な「髀肉の嘆​」という逸話です。

しかし、劉備はただ嘆くだけの人物ではありませんでした。どれほど不遇な状況に陥っても、「漢王朝の再興」という大義(目的)を見失うことなく、その実現のために必要な優秀な人材を求め続けました。その執念ともいえる姿勢が、諸葛孔明との運命的な出会いを引き寄せたのです。