誰も自分を知らない場所へ
サワの感覚がトキには理解できない。
「だって誰もおらんってことは私もおらんのだよ」
「ええよ おトキがおらんでも」
「ヘブン先生と一緒になったときからおトキは、いつか松江を離れて遠い西洋に行ってしまうんだ」と覚悟していたと言うサワ。そして「私は知らん国にも行ってみたいけどな」と思いをはせる。
「誰も知っちょる人がおらんってことは、まわりも誰も自分のことを知らんってことだけんね」
「誰にも知られちょらんって 一からやり直せそうで、憧れるわーって」
サワはそんなに誰かの目線が気になっていたことや一から人生やり直したいことがあったのだろうか。いや、これはトキに気を使っているのかもしれない。騒ぎは沈静化したとはいえ、松江の人々が彼女を洋妾だと思うことは変えられない。
もう騒がないけれど、そういう偏見をもち続ける人もいるだろう。いつまた疑惑が再燃するかわからない。サワは、だったらこの地を離れてニュートラルに暮らしたほうがいいのではないかとトキを思いやったのかも。
サワに言われて、ふと心が動いたかのように見えるトキ。
場面が変わって、夕暮れの宍道湖。
桟橋にひとりたたずむトキ。目の前には小舟が1艘。
桟橋で静かな風に吹かれるトキ。
「誰も知っちょる人はおらんってことはまわりもだれも自分を知らんってことだけんね」
サワの言葉が脳内に響き、トキはそろそろと布をとる。
さざなみの音が聞こえ深呼吸。
なにか心が晴れてくるような顔になって……。
高石あかりさんはこういうロケで長いこと無言でカメラを回されているとき、いつもとてもいい表情をする。
筆者は、一瞬、トキが小舟の舳先(へさき)に立っていると錯覚したがさすがにそんなことはなかった。でも小舟を前に、風に吹かれてどこか遠くにいきたいという気持ちが芽生えたのではないだろうか。









