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自分の工夫ひとつで結果が変わるとき、人は仕事をおもしろいと感じる。作家・浅生鴨も、ゲーム会社時代に開発に関わるなかで、そんな高揚を味わった。限られた条件の中で試行錯誤を重ね、手を動かすほど完成度が上がっていく。その感覚は、確かに「仕事」をしている実感を与えてくれる。しかし、その実感が強くなりすぎると、人は身を滅ぼしてしまうかもしれない。※本稿は、作家、広告プランナーの浅生 鴨『選ばない仕事選び』(筑摩書房)の一部を抜粋・編集したものです。文
言葉を話すゲーム機の開発で
致命的にメモリー量が足りなかった
自分のちょっとした行動や工夫で、ものごとの結果が変わるとおもしろい。スーパーで働きながら、僕はこれが仕事なのだと知ることになった(編集部注/筆者は陳列を工夫したことで商品の売れ行きが変わり、自分の判断が結果に結びつく経験を通して、「仕事」の意味を実感した)。君も働くようになると、そんな体験をして興奮することになるだろう。
でも、そのときにこそ、忘れずにいてほしいことがある。
とあるゲーム会社で働いていたときのことだ。僕はゲームセンターに置かれる大きなゲーム機の開発に関わっていた。そのゲーム機が言葉を話す仕組みをつくるのが僕がいたチームの役目で、プログラマーや設計士たちといっしょに、あれこれやり方を考える日々が続いた。
今でこそ言葉を話す機械なんて珍しくもなんともないし、合成された音声だって人間が話しているのとあまり変わらないレベルになっている。
でもそのころは、機械に言葉を話させるのはたいへんだったのだ。音声合成はまともな発音ができないから、あらかじめ録音した声を再生するしかない。
ところが、録音した音声を保存しておくだけのメモリーがないのだ。今のように大量のメモリーが用意できる時代じゃないから、せいぜい今の携帯電話で撮影した画像数枚ぶんくらいのメモリーしかないのだ。







