自分でなければできない仕事だと思ったし、僕がやらなければゲーム機の開発が止まってしまうから、何が何でもやりとげなきゃと考えていた。

 それから、およそ3カ月間、僕はほとんど職場に泊まり込むことになった。週に2回ほど、明け方に自宅へ帰りシャワーを浴びてまた職場へ戻る。家のベッドではなく職場の床で寝るのだ。

 今になって考えてみれば、ブラックもブラック、まっ黒すぎて何も見えないほどの劣悪な職場環境なのだけれども、僕は自分がやらなきゃならないと信じていたせいもあって、自分がおかしな働き方をしていることに、まるで気づいていなかった。

 最終的に機械は問題なく話すようになった。それも、かなり流暢に話すようになった。当時にしては画期的で、多くの人が驚いたし、ゲーム機もそれなりにヒットしたと思う。

 でも、3カ月の間に僕自身は壊れていた。自分では気づかなかったけれども、壊れていた。そして、それからしばらくして僕はその会社を退職した。

「絶対に自分がやらないと」
そう思い込んでいた

 自分の行動や工夫で、ものごとが変わる。それが仕事なのだと僕はスーパーで知った。

 でも、そこで勘違いしちゃいけない。冷蔵庫の飲料水の並べ方を工夫することで、確かに僕は世界を少し変えた。でも、自分でなければ変えられないなんてことはないのだ。

 世界をほんの少し変えるのは僕だけじゃない。

 もちろん僕が担当したからこそ変わった部分はあるけれども、ほかの誰かが担当すれば、僕とは違った変わり方になるだけで、やっぱりそこにはそれなりの仕事があるのだ。

 だって考えてみれば分かるだろう。

 僕が冷蔵庫を担当するまでは、ほかの誰かが担当していたのだし、僕がそのスーパーを辞めたあとには、誰かが冷蔵庫を担当しているのだ。僕でなければならないなんてことはない。ただ変え方が違うだけのことだ。仕事は君だけのものじゃないのだ。

 ゲーム機だって同じことだ。本当は、すべてを僕がやる必要なんてなかったのだ。