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仕事とは、最初から「仕事」として与えられるものなのだろうか。作家・浅生鴨が高校卒業後に働いたスーパーマーケットでは、業務の多くが説明もないまま、淡々と割り振られていった。野菜を切り、棚を補充する。誰にでもできるその作業を、毎日黙々と繰り返す日々。だがあるとき、いつもと同じはずの作業に、ふと引っかかる感覚が生まれる。※本稿は、作家、広告プランナーの浅生 鴨『選ばない仕事選び』(筑摩書房)の一部を抜粋・編集したものです。
好き嫌いではなく
向き不向きで選んだ仕事
高校卒業したあと、僕はしばらくスーパーマーケットで働いていた。地元ではわりと知られたスーパーで、子供のころから親と一緒によく買い物に行っていた場所だ。
最初のうち、僕のやることは単純だった。毎日のようにトラックで配送されてくる商品を先輩たちと一緒に受け取って倉庫へ運び入れ、棚の商品が少なくなったら、上司や先輩に言われたとおり倉庫から持ってきて棚に補充する。その繰り返しだ。
そんなことをしばらくやってから僕は野菜の担当になった。年末の八百屋でミカンを売っていたあたりから、どうやら僕は野菜と縁があるらしい。
それなりに機械には強いし数字の扱いだって得意だから、僕としてはレジ打ちでもよかったのだけれども、どうやら店長は僕にはレジ打ちは向いていないと考えたようで、今にしてみれば、店長のその考えは正しかったように思う。
お客さんと直接やりとりするような仕事は、たぶん僕には向いていない。
配達された野菜はわざと土をつけたまま店頭に並べることもあるし、キャベツや白菜なんかは半分にカットしてラップで包み、値札のラベルを貼ったりすることもあった。







