「工場や雑居房では仲良くなった受刑者が互いに下の名前で呼び合うことも少なくありません。けれど、操さんは誰に対しても礼儀正しくさん付けでした。20近く歳が離れている市橋さんにもそうでしたし、20代の少年Aに対しても態度は変わりませんでした。
少年Aは工場でいちばん仕事ができると評価され、市橋さんと同じ立ち役という責任者を務めていたのですが、あるときポカをやらかして現場に戻されたことがありました。彼は詩を書くのが趣味で、作業中に書いた詩を現場に置きっぱなしにしていたのが見つかってしまったのです。それが不正製作だとして懲罰が下り、責任者を降ろされる羽目になってしまいました。彼は犯行時に少年だったのであと数年で刑を終えると思います」
カミンスカスは市橋とあまりそりが合わなかったのかもしれないが、他の受刑者には人気があったようだ。橘田が言った。
「市橋さんは『カミンスカスさん』でしたけれど、他の人はまどろっこしいと言い、『カミンさん』と略して呼んでいました。操さんは面倒見がいいので、多くの受刑者に慕われていました。たとえば工場には、大阪出身の若い受刑者がいました。交際していた彼女が金を貸したのに返してくれない。それでその受刑者は相手の6歳の子供を殺してしまった。操さんは彼とすごく仲がよく、彼も操さんを頼っていました。彼はあるとき雑居部屋の部屋長になり、『操さんの力を借りたい』と言い、部屋の受刑者の面倒を見てもらっていました」
刑務所でのカミンスカスは
「物静かで大人しい人」
橘田は刑務所におけるカミンスカスの意外な一面を見てきたという。
「積水ハウス事件や地上げの現場では、それなりの顔があったのでしょうけれど、刑務所ではとても物静かで大人しい人でした。共同室にいるお年寄りの受刑者の面倒をすごく見ていました。私がいっしょの部屋にいたときは、共同室の部屋長を任され、ウンチを漏らしたおじいちゃんのオムツ交換を手伝ったり、薬を飲ませてあげたりしていました。共同室では、ご飯やおかずが大きなタッパーでドンとまとめて刑務官から渡されます。それを用意されたお皿に均等に分けてあげていました」







