室内に薬の匂い、鶯張りの床…忍者屋敷の痕跡
約40年前の購入時から、もともとは忍者屋敷であったという触れ込みの物件だったそうで、かつては室内にまだ薬の匂いらしきものが微かに残っていたとの証言もある。甲賀忍者は薬学に長けていたことで知られているから、これは核心に迫る符合と言える。
さらにその後の実地調査で、床の間や囲炉裏の傍らに設けられた隠し空間や、鶯張りの床が確認され、本物の忍者屋敷であることが確定。弘前城から徒歩数分という立地は、弘前藩に仕える忍者たちにとって“通勤”に便利な物件だったことだろう。
なお、この屋敷は住居ではなく、忍者たちが情報交換を行う詰め所として使用されていたことがわかっている。
江戸後期に建てられたと伝わるこの屋敷が、「早道之者」ゆかりのものであることを示す証拠がもうひとつある。
当時の所有者の二代前の持ち主が、棟方姓だったことが古地図から判明しているのだが、棟方家は中川小隼人から忍術指南を受け、「早道之者」を代々統率してきた一族なのである。
いまなお、こうした裏付け資料が発見されるのも、彼らがつい最近(明治3年)まで活動していたからこそ、だろう。そして200年近くにわたって存続できたのは、蝦夷地の監視やロシア船に対する箱館(現在の函館市)の警備など、歴史の中でその技能が必要とされ続けたからに違いない。
さらに、2018年には弘前市立図書館が収蔵する弘前藩関係史料の中から、「早道之者」のノウハウを記した忍術書の原本が発見された。
江戸中期に藩内で書かれた全12ページのもので、敵の目をくらます薬の作り方や、建物に忍び込んだ際の心得が記されているほか、「ヒキガエルの皮を8月15日の酉の刻に剥ぎ取り、乾かした物で刀を拭えば、鉄や石といえども切れないことはない」といった記述があり興味深い。
なお、この忍者屋敷は存在が明らかになってから数年後に在野の研究者に買い取られ、現在は一般公開されている。
世にも貴重な物証でありながら、いまのところはまだ知る人ぞ知るスポットにとどまっているが、弘前観光のユニークなアクセントになること請け合い。弘前城での桜見物のついでにでも、ぜひ一度足を運んでみてほしい。







