青森・弘前にある忍者屋敷 Photo by Satoshi Tomokiyo
明治3年まで活動していた、最新の忍者集団「早道之者」。近年、彼らに関する興味深い資料が次々と発見されている。ニンニンニン(2月22日)の忍者の日に因み、本稿では令和に残る「早道之者」の痕跡についてレポートしたい。(フリーライター 友清 哲)
伊賀と甲賀が連携して家康をサポートした説もある
皆さんは「忍者」と聞くと、どのようなイメージを持つだろうか。
よもや巻物をくわえてどろんと化ける忍者を実在のものと信じる向きは少数派だろうが、黒装束に身を包み、隠密として暗躍する者というのが大方のイメージではないか。
最も有名なのは、伊賀国(現在の三重県西部)に根を張る伊賀流、同じく近江国(滋賀県大津市)で活動した甲賀流だろう。フィクションの世界では両者の対立構造が描かれることもあるが、実態としては協力関係にあったと言われている。
実際、本能寺の変で信長が最期を迎えた際、家康が乏しい手勢で大阪から三河まで逃げ延びることができたのは、伊賀と甲賀が連携してサポートしたからであるというのは有名なエピソードだ。
戦国時代に鉄砲部隊として前線に立った雑賀衆も忍者の一流派とする見方もあり、忍者の流派は50近く存在するというのが通説。しかし、厳密には彼らは忍者の肩書きを名乗っておらず、それぞれ流れを汲む者をどこまでカウントするかにより、見解が分かれそうだ。
では、歴史の裏で暗躍した忍者は、一体いつまで存在し、どこへ消えてしまったのだろうか。
実は、最も近年まで活動した忍者については、確たる資料が残っている。現在の青森県西部に置かれた弘前藩に仕え、1870年(明治3年)まで活動していた「早道之者」という忍者集団についての記録が、およそ200年に及ぶ藩政をまとめた『弘前藩庁日記』に記されているのだ。







