本当の「忍者」をご存じだろうか。インバウンド需要の高まりで日本固有のカルチャーにますます注目が集まっているなか、外国人観光客からも絶大な人気を集めている忍者。しかし、映画や漫画などで描かれる忍者と実際の忍者には、多くの相違点があるのだ。フィクションの世界とは一味違う、リアルな忍者の実像に迫りたい。(フリーライター・国際忍者学会会員 友清 哲)
あの聖徳太子が
忍者を使っていた?
まず明言しておきたいのは、忍者は架空の存在ではなく、歴史の中に間違いなく実在していたということだ。
しかし映画や漫画のように、何十メートルも高くジャンプしたり、ドロンとその場から消えたりするような忍者を期待されても困ってしまう。忍者はオカルト的な存在ではなく、歴とした学術的研究対象なのだ。
まずはその起源を探ってみると、これが思いのほか古いことに驚かされる。現在浸透している「忍者」という呼称は、実は昭和中期に定着したものであり、かつては「忍び」と呼ばれ、間諜(敵方の情報を探る役割)として暗躍した。
この間諜という言葉が歴史上に初めて登場したのは「日本書紀」であり、推古天皇9(601)年に新羅(朝鮮半島南東部の国)の間諜である迦摩多という人物が対馬に上陸した出来事が記されている。
大陸と日本が緊張関係にあったこの当時、互いに間諜活動が盛んに行われており、当然ながら日本側の間諜も大陸に派遣されていたという。ここに忍者のルーツがあるというのが、今のところの定説だ。
そして、明確に「忍び」としてその存在が綴られるのは、甲賀(現在の滋賀県東南部)に伝わる忍術書「忍術秘書応義伝」がおそらく最古の資料だろう。これは天保10(1839)年に甲賀で写本されたもので、そこにはあの聖徳太子が「志能便(しのび)」と呼ばれる間諜を使っていた事実が記されている。
飛鳥時代の初期、蘇我氏と物部氏という二大豪族が勢力争いを繰り広げる中、蘇我氏側についた聖徳太子は、物部氏との争いで大きな戦果をあげた甲賀出身の大伴細人(おおとものさびと)という人物に「志能便」の称号を授けたとされる。この大伴細人こそが忍者の始祖と言っていいだろう。