役に立とうとしすぎるAI

 ここでご本人(?)が自覚している通り、「AIに相談すると、必ずわたしの言ってほしいことを言ってくれる。それに慣れすぎて、実際の人間は当然ながらそれが保証されていないから、人間と話すのが怖くなってきた」という話を実際に聞いたことがある。

 話を否定せずに聞いてくれる相手は必要だし、わたしも雑談をする際は相手の考えを否定しないように気をつけている。

 しかし、否定しないことと、すべてを肯定することは違う。
 否定しないからといって共感しているわけでもない。また、共感しないからといって反論したり厳しいことを言ったりするわけでもない。

 わたしの「ただちゃんと聞く」のスタンスと比べると、AIは役に立とうとしすぎる。

 人間でも役に立とうとして同じような振る舞いになってしまう人はいるが、AIは役に立つことが目的なのに対し、人間はただ居て、ただ聞いているだけでよろこばれることがある。

 それに、人間相手に「わたしの役に立て」と思うのは乱暴だ。

 AIと話すよりも人間と話したほうがいい点のひとつは、人間は必ずしも役に立たないというところにあるのかもしれない。

 以前、臨床心理士の東畑開人さんに聞いた印象的な話がある。

 良くないクセは、何度も繰り返して「いつものパターン」になってしまう。たとえば、親密な友人やパートナーといつも同じような決別の仕方をしてしまうというような、うまくいかないときのパターンがある。

 それに気がついたら、毎回ちょっとずつ違うやり方を試してみるしかない。急に180度行動を変えてパターンから抜け出すことは難しいから、ほんの少しずつ、5度ずつ変えていくといい。というものだ。

 人が「変わりたい」とつよく願うとき、自分とは全く別の人になるように、まるで変身するように変わることを想像するが、実際は実に地道な練習の繰り返しで、本当に少しずつ時間をかけて変化する。

 AIが人の悩みに寄り添い、肯定しすぎると、それは「変わらなくていい」というメッセージになり得る。

 また、「こう考えるといいですよ」と真っ当なアドバイスをしてくれても、参考にはなれど、そう急にはできないものだ。

 寄り添いすぎと正当なアドバイスの極端な二択のAIに「5度ずつ変える」の5度の違いをキャッチできるだろうか。

 それに対してわたしは、たくさんの人と雑談をしながら、ただ聞き続けることで、本人が「いつもと違うやり方をやってみた」「ちょっとだけできた」「少しだけわかった気がする」と自分のタイミングで掴んでいくのを見てきた。そこが大きな違いかもしれない。

長い目で見て時間をかける

 それによってどのような変化が起きたのか。雑談のサービスを終えた人の感想から一部抜粋する。

「いつものクセで自分のせいだと諦めそうになるとき、一度立ち止まり、疑うことができるようになった」

「ぐるぐる思考に巻き込まれそうになるとき、サクちゃんならなんて言うかな?と客観視して冷静になれるようになった」

「もやもやの波のほとんどが考えてもわからない相手側のことで、どれだけ自分は相手をコントロールしたがってるんだとびっくりした」

「『考える』『思考する』のやり方が全く分からなかったのが、そのヒントを掴みかけている」

「少しずつ自分の思考のクセが自覚できるようになった。ひとりだと難しく考えてしまうのが、話を聞いてもらっているうちに、なんとなくどうにかなるさ!と思えるのが面白い」

「常に相手に合わせることを優先していた自分に気がつくことができたので、『自分がどうしたいのかをまずは考えること』『自分を置き去りにせず優先すること』を意識できるようになった」

「悩むと考えるの違いが少しずつわかってきた」

「自分を快適な状態にするよう事務的に対応できるようになった。気がついてなかった不快や負担を少し減らすことができ、少しだけ気持ちに余裕が生まれたように思う」

 多くの人ができるようになったと語ってくれるのは「客観視」や「問いかけ」だ。
 AIに同じことを何度も繰り返し聞けば、おそらく同じ答えが返ってくるだろう。

 しかし、実際は何度も繰り返し話す中で見えてくるものがあり、同じ話のようで全く違うのだ。

 人と話したことが自分の中で問いになり、自分の考え方や行動のクセを疑えるようになる。
 そうして少しずつよくないクセが新しい習慣に変わっていく。

 すぐにできるようになることはなく、残念ながらとても時間がかかる。ザッと2年はかかると思っている。

 もうひとつ、AIと話すよりも人間と話したほうがいい点は、時間をかけられることではないか。

 長い目で見て、それぞれのタイミングで何度でも自分に問いかけ、ほんの少しずつ変化する。

 タイパやコスパなどと効率重視で常に急かされる現代だが、それが加速すると、すぐに役に立つことだけがよしとされ、ほとんどのことが「やっても意味ない」とされてしまう。

 そうなると役に立っていない自分の存在すら「意味がない」と否定しかねない。

 しかし、人は役に立たなくても意味などなくても「いてよし」だし、役に立たなくても意味などなくても、大事にしたほうがいい。

 なんだってすぐに答えなど出ないし、すぐに変わることはないのだから、一見大事とは思えないことにも時間をかけるべきだ。

「雑談」という役に立たず意味のないように思われることに時間をつかうのは、人間にしかできないことだとも言えるだろう。人間らしくいるために必要だとわたしは思う。