「構想力・イノベーション講座」(運営Aoba-BBT)の人気講師で、シンガポールを拠点に活躍する戦略コンサルタント坂田幸樹氏の最新刊『戦略のデザイン ゼロから「勝ち筋」を導き出す10の問い』(ダイヤモンド社)は、新規事業の立案や自社の課題解決に役立つ戦略の立て方をわかりやすく解説する入門書。戦略とは何か。変化の時代に、企業は何を問い直すべきなのか。本連載では、さまざまな経営・組織の悩みをもとに、坂田氏に話を聞きながら、同書の思想を現在進行形の課題へと引き寄せていく。
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「AIが翻訳する時代」に、
英語は本当に不要なのか
――生成AIの進化によって、「英語はもう必要ないのでは」という声も聞きます。この議論をどう見ていますか?
確かに、翻訳という作業の価値は急速に下がっています。
メールの英訳、資料の翻訳、議事録の英語化。こうした処理は、生成AIが高精度でこなします。翻訳にかかる時間という意味では、ほぼ問題は解消されたと言っていいでしょう。
しかし、それはあくまで「翻訳」という作業の話にすぎません。
ビジネスが動く瞬間は、資料の文章の中だけにあるわけではありません。会食の場での会話や雑談中の、ちょっとした言い回しのニュアンス。そうした文脈の中で、意思決定の方向性が決まることは珍しくありません。
AIが代替しているのは言語処理です。代替できないのは、文脈を理解し、関係性を築く力です。ここを混同すると、英語不要論に陥ります。
――実際のビジネス現場で、そうした経験をしたことがあるのですか?
東南アジアのオーナー企業の二代目との交渉に苦戦したことがあります。提案内容は十分合理的でしたし、資料作成にもしっかりと時間をかけました。それでも話はなかなか前に進みませんでした。
状況が変わったのは、会議室ではなく、会食の場での会話でした。
対話の中で問われていたのは、発音の正確さや語彙力ではありません。その企業の創業史。先代が築いた地域との関係。家族経営であることへの誇り。それらを踏まえたうえで、「このプロジェクトは御社の歴史の延長線上にある」と語れるかどうか。
つまり問われていたのは、どれだけ相手の文脈を理解しているかということでした。
その文脈の中に提案を位置づけられるかどうか。細かなニュアンスのキャッチボールの中で対話を重ねることが、有効だと感じた経験でした。
要件を伝えるだけなら、AIでもできます。しかし、相手の物語の中に自分の提案を位置づけることは、AIにはできません。
生成AIが代替するのは「翻訳」、
代替できないのは「文脈理解」
――では、これからの時代に求められる英語力とは何でしょうか?
英語は、もはや「翻訳スキル」ではありません。翻訳はAIがやります。つまり、差別化要因ではなくなります。
では何が差になるのか。
それは、英語で書かれた文脈に直接アクセスできるかどうか、英語を単なる言語ではなく、教養として扱えるかどうかです。
ここで言う「教養としての英語」とは、単語を知っていることではありません。発音がきれいなことでもありません。歴史的背景を理解していること、宗教観や価値観の違いを踏まえて解釈できること、婉曲表現やユーモアのニュアンスを読み取れること、など、英語を「文化ごと理解できる状態」を指します。
世界のトップ大学やテック企業の最新議論の多くは、まず英語で発信されます。翻訳された情報と、原文に直接触れる情報では、解像度が違います。AIが翻訳してくれるからこそ、一次情報に直接触れられる人の価値はむしろ高まります。
――つまり、「英語を知っている」だけでは不十分な時代になったということですか?
その通りです。「英語を知っている」レベルでは、今はAIが補助してくれるので、誰でもそのレベルには到達できるようになるでしょう。
重要なのは、「英語で何を理解しているか」です。
日本語だけで世界を見る人は、日本語に翻訳された世界しか見えません。そこには必ずフィルターがかかります。翻訳者やAIが選んだ言葉で世界を理解することになります。
一方、英語を教養のレベルまで引き上げられる人は、議論の最前線に直接触れられます。
単なる語学力の差ではなく、物事の考え方そのものにアクセスできるかどうか。この差は、静かに、しかし確実に広がります。
英語不要論が見落としている前提
――それでも、「AIがあるから英語はいらない」という声は根強いです。
一見合理的に見えるのも無理はありません。翻訳という作業だけを考えれば、AIが代替できるからです。しかし、それは「翻訳=英語の価値」と誤解しているから生まれる結論です。本質は別のところにあります。
生成AIによって価値が下がるのは、翻訳という「作業」です。
価値が上がるのは、文化や思想を踏まえた「対話能力」です。
ツールとしての英語はAIに補助される。しかし、教養としての英語の価値はむしろ上がっていきます。
AIに任せられる範囲で仕事をする人になるのか、AIでは代替できない対話を生み出せる人になるのか。一流ほど英語を手放さない理由はここにあります。
彼らは翻訳のために英語を使っているのではありません。世界の文脈に直接アクセスし続けるために、英語を手放さないのです。
――ありがとうございました。
IGPIグループ共同経営者、IGPIシンガポール取締役CEO、JBIC IG Partners取締役。早稲田大学政治経済学部卒、IEビジネススクール経営学修士(MBA)。ITストラテジスト。
大学卒業後、キャップジェミニ・アーンスト・アンド・ヤング(現フォーティエンスコンサルティング)に入社。日本コカ・コーラを経て、創業期のリヴァンプ入社。アパレル企業、ファストフードチェーン、システム会社などへのハンズオン支援(事業計画立案・実行、M&A、資金調達など)に従事。
その後、支援先のシステム会社にリヴァンプから転籍して代表取締役に就任。
退任後、経営共創基盤(IGPI)に入社。2013年にIGPIシンガポールを立ち上げるためシンガポールに拠点を移す。現在は3拠点、8国籍のチームで日本企業や現地企業、政府機関向けのプロジェクトに従事。
単著に『戦略のデザイン ゼロから「勝ち筋」を導き出す10の問い』『超速で成果を出す アジャイル仕事術』、共著に『構想力が劇的に高まる アーキテクト思考』(共にダイヤモンド社)がある。




