裁判は社会的な関心を呼び、裁判長は判決文に「10年の懲役刑でも十分ではない。少年法の適切な改正が望まれる」という異例の発言を付した。その後、2014年に、少年に対する有期刑の上限を20年に、不定期刑の上限を短期(下限)10年、長期(上限)15年にそれぞれ引き上げる少年法改正がなされた。

 裁判が終わったあと、大久保は前例のない行動に出た。加害者が少年刑務所に収容された直後から、関係機関に出向き、遺族としての思いを伝え続けていったのだ。

加害少年の人間性と
刑事裁判の内容を理解してほしい

 事件後、大久保は毎日、復讐を考えたという。次男の仇をとりたい。激しい憎悪は夢をも支配した。しかし、時間が経つにつれ、加害少年が死刑になろうが、親も含めて皆殺しにしようが、到底納得できないことがわかっていったという。

「次男の命を奪ったことが帳消しになるわけではない。しかも満期でもたった10年です。ただ、裁判長の発言は法を超えるものがあったと感じたので、そのことを関係者に伝えなくては、と思いました。刑務所に被害者の親が来たということだけでも、刑務所の方々の印象に残るじゃないですか」

 大久保は、少年が収監されている少年刑務所の刑務官や、いずれ仮釈放の審査に関わることになる地方更生保護委員会の委員などに面会することを望んだ。

「加害者に関わる刑務官や保護観察官などに、私の息子が巻き込まれたのがどんな事件で、加害少年がどんな人間で、刑事裁判の内容がいかにひどいものだったかを、しっかりと理解してほしかった。

 刑務所から仮釈放の申請が上がってからでは遅いと思っていたので、最初に収監された少年刑務所に2?3年間通い、そこが閉鎖になった後は、移送先の九州の少年刑務所に毎年足を運びました」

 当時、犯罪被害者遺族が刑務官に心情を伝えた前例はなかった。法務省の見解は「制度はないが、できないというルールもない」。結局、現場の裁量に委ねられることになった。

「どれだけ苦しもうが足りない」
加害者に答えを求めない理由

 数カ月の交渉の末、まず保護観察官との面会が実現した。次男の写真を大量に持参し、次男の人生や思い出、親としての胸中を語った。保護観察所の職員は「遺族の心情に初めて触れました」と話したという。大久保が「刑務所にも話を通してほしい」と保護観察所に要請すると、時間は要したが刑務所を訪ねる許可も下りた。

「刑務所長や担当官らが会ってくれました。私が話をしなければ、彼らは、加害者がどんな人間だったかも、私たちが事件後どういう思いで生活してきたかも、知らないままだったでしょう」

 後に大久保は、加害者が出所した際、直接面会を望んできたが断っている。その理由をこう話す。

「加害者に答えを求めてもムダなんですよ。それでは私にとっては全然足らんのです。わかりますか?全然足らんのです。うちの子どもは加害者に殺されているのだから、加害者がどれだけ苦しもうが足りないんです」

 大久保は刑執行中の心情等伝達制度(編集部注/2023年から始まった刑務所や少年院を介して被害者や遺族の心情を伝えることができる制度)について、一定の評価はしている。しかし、仮に当時この制度が存在していたとしても、刑務所や保護観察所、地方更生保護委員会などの関係機関に事件内容や自分たちの思いを伝えるためには利用しただろうが、加害者から返事をもらうことは望まなかった、と断言する。

 いずれにせよ、大久保の行動が、今回の制度の礎の一つになったと言えるだろう。そのことは複数の法務省関係者から私も耳にしている。