そういえば、「ドレッシング」の語源は、ドレスだと教えてくれたのも彼女の著書だった。「ドレスのようにまとうもの」、それがドレッシングなのだ。何枚も重ねて引きちぎるようなズボラなやりかたで、まとうはずがない。
しかし、やっとサラダがおいしく作れるようになったというのに、息子は結婚し、娘も社会人になってからはろくに家で食事をとらない。
なんだよ寂しいじゃないかと、出番が減り食器棚の上に追いやられたサラダボウルを見上げる。夫婦ふたりではそんなに食べられない。おまけに夫は、元来生野菜を喜ばない。マリネやピクルスも、申し訳程度に箸をつける程度だ。いまだに中学生のように肉がいちばんのごちそうなのである。
30代で子育てが始まり、必要にせまられ料理を始めた頃、まさかグリーンサラダを習得するのに20年もかかると思っていなかった。
やっと納得のいく
サラダを作れるようになった
繰り返すようだが基本の料理すぎて、自分のサラダがまずいと人に言えずにきた。隠すというより、サラダのことなどランチの付け合わせのようにすぐ忘れてしまうので、作る段になって、あーおいしくできないんだよなあと思い出してはため息をつく。そして忘れる、の繰り返しでここまで来てしまった。
人生とともに、食も料理観も変わる。
『台所が教えてくれたこと ようやくわかった料理のいろは』(大平一枝、平凡社)
15年来、毎年漬けている梅干しを今夏は干しそびれ、塩漬けにしたまま冬になってしまった。慣れたもの、と高をくくっていると基本的なところで失敗する。人生と同じだなと思う。
ところで先日、息子夫婦が遊びに来たのでトマトサラダを作った。食べながら、「そうそう、いつも作るこれ、どうやって作るの」と息子に聞かれた。
「湯むきしたミニトマトを、オリーブオイルをポン酢で割ったドレッシングに、30分くらい漬けておくだけだよ」
ポン酢だったかー、と息子は妻とほほえみあった。ふたりで作り方が話題になっていたらしい。
だめだだめだと思っていたけれど、あれ?私のすこぶる簡単サラダもそんなに悪くないかもしれないぞ、と思い直した。私も味覚も料理の腕も、不器用なりに代謝している。







