クルーズは大スターとして、作品をヒットに導く自信があったに違いないが、それと共にプロデューサーになることで、自身の収入を確実にしていく方法を手に入れた。

映画ファンのニーズを汲み取る
才能も持ち合わせていた

 トップスターになり、オスカーノミネーションも受けた後のクルーズは1992年に長年自分のエージェントを務めて来たポール・ワグナーと共にクルーズ/ワグナー・プロダクションズという製作会社を設立する。プロデューサーとして映画製作に携わり、自分自身の作品を作っていく礎を築いたのだ。

 クルーズは、自分が主演してヒット作に出来る作品の種を探し始める。彼は、映画館でポップコーンを食べながら、大人から子供までが楽しめるワクワクする映画の種を探していた。そして、子供の頃に好きだったテレビシリーズ『スパイ大作戦』に可能性を見出す。

 80年代後半から90年代前半、娯楽として楽しめるスパイ映画は、確かに無かった。私が10代の頃のハリウッド映画のヒット作は、スピルバーグやゼメキスが作るアドベンチャー映画か、大人向けの硬派なドラマが主流で、大人が楽しめるサスペンスやスリラーはほとんど無かった。

 唯一あったスパイ映画は『007』で、ティモシー・ダルトンに替わったボンドは古臭く、10代の私の目には魅力的に映らなかった。

 低迷しているジャンルの作品を才能のある誰かがリバイブする、というのは度々ある話で、最近で言うとライアン・ジョンソンが『ナイブズ・アウト』でミステリージャンルをリバイブした事に似ている気がするが、クルーズは92年当時、面白いスパイ作品がない事に可能性を感じていた。

 そして、1993年にパラマウントからリメイクの権利を買ったのだ。

 10年間映画業界で俳優として勉強し続けてきたクルーズが、満を持してプロデュースした初の作品が、その後30年続くフランチャイズ『ミッション:インポッシブル』として大成功したことは言うまでもない。