(3)慣性(現状維持バイアス)
 ここでいう慣性とは、一度設定された給料に留まろうとする力のことです。一度高い給料を得た人は高いままに、給料が低い人は低いままに留まりやすいのです。転職時に現年収が基準になりやすいのが、わかりやすい例でしょう。

『ITエンジニアの転職学』書影ITエンジニアの転職学』(赤川 朗、講談社)

(4)公平(従業員間の公平性を保とうとする圧力)
 ここでいう公平とは、個人が感じる「公平感」のことを指します。給料の透明性はこの公平感を強め、結果として個々の給料を引き上げる傾向があります。同じ仕事をしているのに同僚より給料が低い従業員は、それを不公平だと感じて転職するか、交渉を求めて昇給につなげることができます。

 さらに、この公平感はしばしば経済学の需要・供給理論を覆します。真に公平であれば、需要と供給のバランスによって給料は上下するはずですが、現実はそう単純ではありません。たとえば制度的には給料の減額が日本より容易とされるアメリカにおいても、給料の下方硬直性が指摘されています。給料はモチベーションや自尊心と強く結びついており、減額は個人の公平「感」を損ないます。会社側は「なぜ自分の給料が下がるのか」という反発を避けるため、簡単に減額に踏み切れないのです。このように、公平感という心理的な要素もまた、給料の決定要因として影響力を持っています。

給料は運で決まる?
イグノーベル賞研究からの示唆

 さらに見落とせないのが、「運」の存在です。2022年にイグノーベル賞を受賞した研究「TALENT VERSUS LUCK:THE ROLE OF RANDOMNESSIN SUCCESS AND FAILURE」(注3)では、人間の能力は正規分布に従うのに対し(図1-5左)、富や成功はべき乗分布(ごく一部の人に極端に集中する分布)を描くと説明されています(図1-5中央)。日本人の給料分布も似た構造があり、対数正規分布に従うと言われています(図1-5右)。

 この研究では、正規分布の能力を持った個人を、無理やりべき乗分布に当てはめ、さらにランダム要素も加わると、そこでは運がもっとも支配的になると示唆しています。この結果、「たまたま良い企業に出会えた」「タイミングが合い、評価されやすいスキルを持っていた」といった「運」の重なりで、年収が倍以上違うことが起こるのです。

図1-5・正規分布・べき乗分布・対数正規分布同書より転載 拡大画像表示

 では、このような状況下で取るべき最善の戦略は何でしょうか。この研究では、機会を増やすことが有効と指摘しています。たとえば、以下のようなことが考えられます。

・行動量を増やす
・アイデアの量を増やす
・人生で関わる人の数を増やす

 ITエンジニアにおいては、社外での発表やブログなどのアウトプット、第三者との壁打ち(カジュアル面談を含む)が、小さいリスクで運を引き寄せる方法としておすすめです。

(注3)Rapisarda et al., 2018,https://www.worldscientific.com/doi/10.1142/S0219525918500145